1月3日
修士論文の構成 第2章の書き方
論文を書く作業は、論文のメッセージはなにか、そのメッセージを伝えたい人はだれか、を考える。そして、そのメッセージを思いつく過程を書き(思いつくまで、つまりはアブダクション)、そのメッセージを証明できる形に変形し(仮説構築、プロトタイプ構築、概念枠組み構築)、それを証明する。(演繹法、帰納法、仮説演繹法、アブダクションなどの手法を使う)。そして証明した仮説の意味を考察して終了。これは学会論文だろうと博士論文だろうと修士論文だろうと同じである。この流れが論文の構成の核になる。
したがって
第1章:主題の説明、なぜその主題を選んだか、その主題をコンセプト(仮説、プロトタイプ)に置き換える。その概要と証明した結果、それが社会に及ぼす影響、などを書く。
第2章:関連研究レビュー
第3章:コンセプトをおもいつくまでと思いついたコンセプトの提示。
第4章:コンセプトの詳細の説明
第5章:コンセプトの証明
第6章:今後に向けて
になる。第4章、第5章は選んだ主題とその説明方法によって構成はことなってくる。
さて、問題は第2章である。論文はテーマがきまった段階でWorking Bibliographyを作る。関連する研究をとにかくなんでもあつめて文献リストを作るのである。出来るだけ早い段階で作り始めないといけない。そのリストの中から必要な文献を選び出してレビューをする。この作業がなかなか大変である。博士論文を執筆する学生は論文や研究書を正確にレビューするという訓練が必要になる。これにははやくて3ヶ月。普通は1年。研究に必要な能力(英語をcritical readingする)という能力がなければその訓練が必要なので2年かかる。だが修士論文ではそこまで要求はしない。
レビューとは論文をまとめることであるが、サマリーではない。論文が何をいっているか、どのような論理的な流れで説明しているか、その説明に使っている事例は何か、といったことを適切にパラフレーズする。で闇雲に行っていたのでは時間がいくらあっても足りない。そこで、自分の研究分野のテーマに沿った形でレビューをすることになる。だが自分が何をどのように考えてどのように証明したかは終わってみないと分からない。なので、論文の場合は第2章は最後に書くことを薦める。(また第一章の仕上げは第2章を仕上げた最後になる。着手は最初だが)文献リストは最初に作る。必要な文献は読む。読書メモは作る。だが、第二章を執筆するのはまだ早い。
第2章は関連研究の紹介であるが、なぜこの本や研究論文が、自分の修士論文を書くために必要だったかを書くことが必要である。論文はオリジナリティが必要だと言われる。だがこのオリジナリティは自分が研究する領域に貢献するあたらしいことであって、自分だけで定義できるものではない。ここを間違ってはだめである。したがって、第2章の論述の仕組み、つまりrationaleは
1)自分の研究領域の明言
ぼんやりとした領域を説明するだけではなくて、ある特定のところにピントを合わせておかなくてはいけない。これをフォーカライゼーション(Focalization)という。だが、実際にコンセプトを論証した後でないとピントがあった研究領域は決まらない。論証は演繹法だけで済む場合はほとんど無い。アイデアを何故か思いついてしまう。その実現可能性を演繹法で証明した後、その有効性を帰納法で証明する、といった流れになることがある。ということは証明してみないと分からないことが多い。なので、文献研究は研究着手と同時に始める(これをpreliminary readingという)が、関連研究の紹介をするのは証明終了後がいい。いずれにしても、具体的に自分の研究領域はこれだと明言することが必要である。
2)関連研究の選択
すでに文献リストに挙げてあり、場合によっては読んである論文や書籍を選択する。学術論文の場合は論文を中心にリストを構成する。もちろん書籍も入るがその扱いは意外と難しい。論文以外の資料も必要だが、それは参考にしたという程度でいい。また第一次資料と第二次資料の区別もつける。第一次資料は自分がおこなったフィールドワークの民族誌や実験の結果などである。これは第三章のデータだ。だが人の行った調査や実験は第2章で言及しておかなくてはならない。
3)選択した先行研究のレビューを行う。
という流れになる。でレビューとは自分のオリジナリティを説明する場所である。ではそれは何か?一言で言えば、自分の研究分野を研究しているコミュニティ(学会のことだ)になにか新しいことを貢献することである。新しいことはなんでもいい。新しい資料の発見でも、新しい理論の発見でも、その組み合わせでもいい。では、どのようにこの貢献を説明するのか?それには戦略があるのである。以下にその手順を説明したい。
ステップ1:研究するために必要なことは知っていると明言する
基本となるいくつかの文献を簡単に紹介する。まあここは簡単であると共に、論文の主査副査と世界を共有する作業であって、基本書はこのくらいで、その本の名前と主張は知っていますよ、くらいのレベルでいい。ここは簡単だが、ここを間違えると、あとの議論が台無しになるので慎重に、いろいろと周りの人に質問して基本的な論文や研究書をリストアップしよう。「え、こんな基本もしらないの」といわれてしまっては先に進まなくなる。
ステップ2:研究を実行するために本当に知っていなくてはいけない論文や研究書を「このくらいまで」しっかりと知っていると明言する
ここが非常に難しい。先行研究紹介を批判だと思いこんでいる学生がほぼ100%である。だが先行研究紹介ではよほどのことがない限り批判しない。よほどのこととは、その論文の主張をたたきつぶさないと自分の理論が前に進まないときである。そうでないときは批判しない。「じゃあいやな論文とか気に入らない論文はどうするのですか?」という質問を受ける。答えは簡単だ。そのような論文は先行研究でレビューしなければいい。先行研究紹介とは、ピントが合っている自分の研究主題についてすでに論じている人の研究を紹介することである。いま論じようとしている主題はかつて、どのような論理でどのような例をつかってどのように論じられてきたか、を論理と事例は論文の作者に準拠して、自分の文体で書く。これをパラフレーズという。パラフレーズは論文を書く方法の極意だ。
こうしていくつかの主要な論文や研究書を自分の解明したい主題に焦点をあてて、パラフレーズする。自分の主題に関する先行研究だけではなく、証明の方法論に関しても先行研究としてパラフレーズする。また理論についても、その応用分野に関しても、自分の研究主題の焦点にはいってくるようにパラフレーズしていく。先行研究紹介とは、専攻研究者の研究業績を最大限に利用することなのだ。ここを肝に銘ずる。
学問は先行研究をいくら利用してもいい。引用が重要視され、盗用plagiarismがもっともいけないこととされる。だが、中身は同じだ。人の研究を利用している。だが、誰の研究かを明言しないで利用すると、盗用であり、明言すると引用である。引用の頻度と引用先の評価が学問の価値であり、盗用すると研究職を辞さなくてはならない。このメカニズムをぜひ理解して欲しい。つまりいくらでも先行研究は利用する。いくら利用してもオリジナリティは傷つかない。ここはアカデミズムの訓練をうけてみないとわからないところだ。誰の意見かを明言すると「業績」になり、しないと「盗用」になる。修士論文の第2章としては、自分の研究テーマに関する論文を複数、しっかりとパラフレーズして、引用先を明記すればいいだろう。
ステップ3:第2章を書く
さて、いよいよ第2章の執筆である。まず、自分が証明したいと思っているコンセプト(あるいは仮説、プロトタイプ)をアカデミックコンテキストに着地させる。これが第2章のゴールである。したがって、自分のコンセプトがいかにつくられたか、そしてどのように証明されるかの流れを明確にして、その流れで読み手が当然質問するであろうことに答える形で書かれていなくてはならない。ちょっと分かりにくい表現になったが、ようするに、なぜそのテーマを研究主題にえらんだのか、どうしてその方法で証明しようと思ったのか、を自分の意見ではなくて、先行研究のレビューの形で説明されていなくてはならない、ということである。つまり自分の研究のratinaleの意味を他の研究をレビューしながら語るのである。
その大枠を提示しておこう。びっくりするくらい簡単だ。コンセプト1はコンセプト3よりすぐれている。なぜならコンセプト1はコンセプト2よりすぐれており、コンセプト2はコンセプト3より優れているので、コンセプト1はコンセプト3よりすぐれている。この形式論理の枠組みをあたまにおいて、具体的に展開していく。
まずコンセプト1はコンセプト2よりもすぐれているということを説明している先行研究のレビューを行う。次にコンセプト2がコンセプト3より優れていると言うことを説明している証拠となる先行研究をレビューする。そしてコンセプト1はコンセプト3より優れているという仮説を提示する。またそれと同時に自分が選択した証明の方法論についても説明する。たとえば、
コンセプト1 利用者の無意識行動を利用した町歩きガイダンスはコンセプト3 利用者の意識的な情報(好みとか消費者属性)を利用した町歩き情報提供よりすぐれている。
なぜなら
コンセプト2 利用者の無意識行動が利用者の行動のパターンを説明する という考えはコンセプト3よりより深いレベルで人々の行動を説明することが知られている。
このパターンを知るためには集合知、ベイズネットワークといった処理をする特別のサーバーが必要になる。これらがかつようできれば、
コンセプト1はコンセプト3よりも優れている。
となる。この流れに沿って先行の研究をレビューしていけばいい。研究Aではこのように説明しています、研究Bではこのように説明しています、と記述を重ねていくと、自分の研究したい領域のなかですでに研究されて分かっていることと、まだ研究されていないところが見えてくる。それは方法論かもしれないし、あたらしいデータかもしれない。それを明確に定義して、そこを研究すればオリジナリティのある研究が出来ることになる。
つまり第3章、第4章、第5章(必要なら)の流れが確立していると、第2章を書くことは非常に易しくなると同時に、自分の研究がなにに貢献するのかが明確になる。この方法で第2章をまとめていこう。終了まであとすこしだ。くりかえすが、研究のrationaleにそって、必要な先行研究を選び、その研究がおこなったことを説明し、やりのこしたことを明確にして、自分の研究がそのやり残したことを行う、という形で説明をする。これがアカデミズムあるいは学会への貢献となる。貢献できるか出来ないかがオリジナリティの基本である。
2010年1月1日
外国語教育はどこまで科学的に証明されているか
外国語の教授法は現代言語学とその背後にある哲学の変遷に深く関わっている。大人の英語講座では三つの段階をへて学んでいく。音声から文法、そして読解つまりは意味。これは現代言語学が人間の言語活動の仕組みを明らかにしてきた流れと一致している。構造言語学から生成文法へ、そして認知言語学という流れだ。現在ピッツバーグ大学言語学科教授で言語習得論の専門家である白井恭弘氏が『外国語学習の科学:第二言語習得論とは何か』『外国語学習に成功する人、しない人』でこのあたりをまとめながら、どのように外国語を学んでいけばいいかを科学的に説明しているので、パラフレーズして紹介しておきたい。
あと奥出直人のジャズ的生活のblog ”55歳から3カ国語を学ぶ”で白井氏の本を読むまでの段階のまとめをしているので紹介しておく。また繰り返しになるがこのblogからの文章も再録しながら話を進めていく。
http://okudenao.exblog.jp/13294511/
まず現代言語学登場以前における外国語学習の伝統的な方法はGrammar-Translation Methodで、文法を覚え、単語を覚え、外国語を母語にして、母語を外国語にする。この方法が批判されたのはなぜなのか?まあ一番簡単な理由は話せるようにならない、だろう。そこでNatural Method(ナチュラル・メソッド)という方法が提案された。母語を学ぶように外国語を学ばせようとするものだ。有名な方法は、ベルリッツ (Maximilian Berlitz)で、ヒアリングを徹底して教えてからスピーキング、リーディング、ライティングへと入っていった。だが、いくら聞いても大人は聞こえるようにならない。大人はいくら聞いてもしゃべれるようにはならない。
構造言語学の時代:音の解明
伝統的な文法訳読法に変わって、ナチュラルメソッドあるいは直説法が採用された背景にはローマン・ヤコブソンによる構造言語学がある。構造言語学は人間が音をつかってコミュニケーションする仕組みを音韻という概念をつかって明らかにした。対立するペアの組み合わせが音の文法体系を構築している。音の形態を研究していた音声学から音韻論へと踏み出したのだ。音に関しては構造言語学の発見は間違っていない。
伝統的な方法では超えられないしゃべれるようにならないという問題を改善しようとした方法がAudio-lingual Approach (AL法、オーラル・アプローチ)、いわゆるミシガンメソッドである。20世紀初頭における構造言語学と行動心理学を後ろ盾として、C. C. フリーズ(Fries)によって体系化された。Teaching and Learning English as a Foreign Language by Charles C. C. Fries: Pub. Date: January 1945が有名な本だ。彼が準拠した構造言語学では言語を本質的に音声であり、音、語、文の「型」によって構成されると考えている。また、当時はやっていた行動心理学では習慣は刺激に対する反応の繰り返しによって形成されるとされていた。なので、これら二つの考え方を基礎としてパターン・プラクティスを組み立てた。 パターン・プラクティスとは、例えば「私は本が好きです」、という文に対して指導者が「りんご」などのキューを与え、「私はリンゴが好きです」といった文に変形させる、とWebで説明があった。学習者は自動的かつ即座に正しい英文が出てくるまで繰り返し練習する。いまでも出版されている『アメリカ口語教本』などがこの方法を使っているが、退屈で続けるのが大変。
またパターン学習で本当に表現が出来るようになるのか、という本質的な疑問もあるという。Wikipedia「英語教育」から引用すると、「具体的には、教える側は正しい文の模範を提示し、学ぶ側はそれを復唱する(模倣: Mimicry-Memorization)。次に教師は新たな単語を生徒に提示し、生徒はそれを用いて同じ構造の文章を作ってみる(代入:Substitution)。AL法では(ダイレクトメソッドでは)、明示的な文法の解説は行われず、単純に「型」(パタン:Pattern)の記憶という方法が用いられる。パタン・プラクティス(Pattern Practice)と呼ばれる特定の文構造の練習は、それを自動的に用いることができるようになるまで続けられる。この方法では、授業は一定の反復練習に基づいて行われ、学習者が自分から自由に新しい言語パタンを生成するような機会は方法論的に忌避される。教師は言語ルールに基づいた特定の反応を期待しており、生徒が否定的な評価を受ける結果をもたらしてしまうような働きかけは行わない。」とある。
演繹的方法でだめだからといって、徹底的な帰納法で教えようとする。実はフランス語はアテネ・フランセなど語学学校で学ぶと直説法である。また大学では、今は知らないが、僕が大学生だった頃(35年くらい前。時間が過ぎるのは早いね)は上智大学が直説法で教えていて学生はあっというまにしゃべれるようになっていった。(がそのあと、すぐ忘れちゃうんだよね、と上智で学んだ人が言っていた。)だが、それは本当に表現をしていたのだろうか。
生得文法の時代:文法の解明
構造言語学の方法を文法にまで進めたやり方は、ノーム・チョムスキーの生成文法の登場によって徹底的に批判された。彼は子供が言語を習得することが出来るのは生得的知識(普遍文法)があるからだとした。この理論を第2言語習得に適応したのが、70年代から80年代に盛んだったインプット仮説で、提唱したのはスティーブン・クラッシェンである。ただひたすらインプットを繰り返していると、あるとき突然表現が出来るようになる。この仮説はかなり乱暴なようだが、聴解優先教授法(comprehension approach)とか全身反応教授法(Total Physical Response-TPR)という教え方がこの仮説のもとに作られた。詳しくは白井氏の著書を参考にしてもらいたいが、大量のインプットを行うことで、文法能力が形成され、理解が出来るようになるとするのである。
この方法はチョムスキーが主張するように演繹的な方法である。文法というとパターンの暗記という機能法的なやりかたがいまの英語教育、とくに高校、さらには受験校の英語教育の特徴だろう。この方法の問題が実行されている現場は、生徒は緊張し、暗記を強いられる。ほとんどのTOEFLやTOIECの準備もそうだ。それにたいして、インプット仮説では、とにかく大量にインプットを続けて、心の中に文法能力が育つまで待つ。人間は無意識に習得することが非常に多い。ひたすら見る、ひたすら聞くという作業が高度な能力の習得には必要なことはよく知られている。学習する知識は習得したことが正しいかどうかをモニターするだけ、だとする。
クラッシェンのインプット仮説に対して、自動化モデルという考え方がある。この考え方はスキルは最初は意識的に学習され、何度も行動を繰り返すうちに自動化し、注意を払わなくても無意識的にできるようになる、というものである。
認知言語学の時代:意味の解明
構造言語学派も生成文法派も言語の形式をとらえようとした。それにたいしてカリフォルニア大学のレイコフたちが70年代に認知言語学を提唱した。Wikipediaによると、「認知言語学 (にんちげんごがく) は、ゲシュタルト的な知覚、視点の投影・移動、カテゴリー化などの人間が持つ一般的な認知能力の反映として言語を捉えることにより、人間と言語の本質を探究する言語学の一分野。統語論を中心とする生成言語学(生成文法)に対して認知言語学は意味論の研究が盛んに行われているため、認知意味論と言われることもある。近年、認知意味論の中でも、平面的な共時性を重視する認知言語学の特性に対し、通時的観点をも取り込んで空間的に語句の意味変化を明らかにしようとするメタ・プロセスの理論も現れている。」とある。
外国語教育において、この方法は音、文法から意味にという変化を引き起こししていく。しかし、もっと大切なことがある。それは学習の主体が学習者に移ったと言うことだと、白井氏は述べる。西洋の言語において、音声は単純な法則を利用して非常に論理的なシステムを構築しており、その仕組みを身体に学習させることで音声を通じたコミュニケーションが出来るようになる。だが文法はそのような単純なレベルのシステムではない。したがってパターンプラクティスをいくら繰り返しても文法能力を本当に身に付けることは難しい。文法能力に関しては、かつての文法学者が考えたような仕組みを想定して演繹的に考えた方が説明が付く。だがその仕組みは学習しても身につかない。大量のインプットをあたえて、人間の心に「言語能力(文法)」を習得させる必要がある。白井氏はいくつかこうした例を紹介している。文法に関してはインプット仮説は正しそうなのだ。
だが我々の言語活動は音と文法だけで成り立っているわけではない。意味が存在している。文学の翻訳などをおこなっている研究者であれば意味が存在していることに目をつぶることはできない。生成意味論は言語活動を十分に説明することは出来ない。意味は生成文法のようなメカニズムから生まれてくるのではなく、人間の身体性に深く関係しているらしい、と認知言語学は考えたのだ。
ここまでをふまえてCommunicative Approaches(コミュニカティブ・アプローチ)を考える必要がある。これは欧州評議会の提唱する「ヨーロッパの成人学習者のためのコミュニケーションに必要なシラバスに基づく教授法」であり、コミュニケーション能力を次のように定義して学ぶことを提唱している。http://en.wikipedia.org/wiki/Communicative_language_teachingによると、
1)文法力(grammatical competence):文法的に正しい文を作る力
2)社会言語能力(sociolinguistic competence):社会的な事象(身分、上下関係など)をふまえた文を作る能力
3)談話能力(discourse competence):論理的な文の流れを作る能力
4)戦略的能力(strategic competence):状況に合わせて表現を変えていく能力。
「この方法はいま非常に人気があって、大学の語学教育再編というとすぐこれになるが、僕は非常に懐疑的だ。」と前述のblogに書いたがそれはコミュニカティブ・アプローチを正しく理解していないためだったようだ。というか、正しく理解していないコミュニカティブ・アプローチが多いということだ。これは白井氏も指摘していて、初級のうちから限られた文法・単語でアウトプットを要求する所詮「コミュニカティブ・アプローチ」には問題であるという。いま中学や高校、あるいは教養課程の英語教育はアウトプットが多すぎるか、パターンプラクティスおよびパターン暗記の試験ばかりだ。これではなかなか第2言語の能力は身につかない。これはインプット・インタラクションモデルと呼ばれているものを基本としているが、インプットの量が少ないので効果が疑問視されている。
ではどうすればいいのか。白井氏はそれを次のようにまとめている。
1)インプット
20%くらいしか分からない教材をきくより、80%以上わかる教材を「何度」も繰り返して聞く。
リスニング教材はスクリプトのあるものを使う。スクリプトを読んで意味を理解して、また聞く。
2)例文暗記
パターンプラクティスの効用が疑問視されて、それとともに例文暗記をすることが無くなってきたが、ある程度の暗記は必要である。
文をつくれるくらいの基本的な文法も必要。
3)発音
音声的になるべく正しい発音をするように心がける。
4)アウトプット
すこしでも心がける
5)単語・熟語
文脈の中で覚える
さて、以上を参考にこれからも大人のための英語講座を続けていきたい。
12月31日
1章から5章、あるいは6章までのドラフトを29日までに作ってもらった。そこまで出来たら、今度は全面的な書き直し作業に入る。その方法を説明しておきたい。
学会論文の審査をしたことがある研究者であれば、良い論文かどうかの判断基準が論理的で簡潔な記述だけではないことに気がついていると思う。まず論文は
1)魅力的なテーマを扱っているかどうか(compelling)
2)明晰に事例が提示されているかどうか(intellibility)
3)論理的に議論が展開されているか(discourse)
4)物語があるか(sotry-telling or narrative)
5)自分の主張が明確にかたられているか(Voice)
の視点から判断される。
1950年代から論文が何を言っているか分からないという危機感からアリストテレスの修辞学が見直され、国際的に文体が統一されてくる。クリティカルライティングと言われる手法だ。一方クリティカルリーディングという方法も進んでくる。文章の論理的な展開を掴み、それを例証する事例を確認して、著者の言うとおりに理解をしていくという読みかただ。上記の枠にあてはめて文章を読んでいく。この読み方をすると、少しぐらい表現が複雑だったり曖昧だったりしても、きちんと内容を把握できるようになる。
さて、自分のドラフトをクリティカルリーディングして、分かりやすくて論理的な文章としてパラフレーズしてみよう。方法は
ステップ1:ドラフトを書く。
ステップ2:第一章、第3章、第4章、第5章と順番に自分の言いたいことをドラフトを見ないで喋ってみる。友達に向けて話すといい。それを録音しておく。なにがなんで、どうだという感じで話をする。すると、初心者の場合はドラフトと違った文章の構造を発見できるだろう。実は文字をかいていると、文字だけで思考を行い、全体の話の流れが分からなくなってしまう。なにがなにでどうなったか、その理由は、その根拠は、あるいはそもそもどうしてこの研究をしようと思ったのか、が大切になる。
さて、ここで再び、rationaleが大切になる。なぜこのような研究をおこなったのか、それを明確に詳しく語るのだ。しかし、ドラフトを見てはいけない。なぜ私はこの研究をおこなったのか、なぜならば####であると答える。そして、思い出しながら何故この研究をおこなったのかを友達や仲間に説明している気持ちで話す。ここで、論文のサマーリーを言ってはいけない。自分が自信をもって(Voiceがある)、物語として(Story-telling)、論理的に(discource),事例を分かりやすく説明しながら(intelligibility)魅力的に(compelling)語る。きちんと調査分析を行った後なので、比較的自身をもって語れるはずだ。
ステップ3: それを記録しておき、文字に起こす。
そのテキストをもとに、論文の全体の骨格を作る。その骨格にしたがって、ドラフトの文章をカット・アンド・ペーストで再編する。ここで獲得した骨格はドラフトの枠とは大分違うはずである。生き生きとした全体性を感じることが出来るはずだ。
この方法で修士論文の質は圧倒的に改善される。ドラフトをワープロを使って修正していてはいつまでたっても文章が仕上がらないだけではなく、何を言っているのか分からなくなる。一度ワープロを離れ、ドラフトを机の上に伏せて置き、読者に向けて自分の研究を語ろう。なぜこの研究をしたのか、個人的な動機、社会的な価値、フィールドワークの経験、分析、分析からコンセプトにどのように展開したか、そのコンセプトは何か、どうやってコンセプトとプロトタイプにしたのか、そしてそのプロトタイプをどうやって人々に使ってもらったのか。最後に、この研究をやり終えた自分が未来に向けて持つ豊富のようなものが話せればいい。このように明示化されたRationaleにしたがって論文の構成の詳細をきめる。ここまで来れば論文は完成直前である。頑張ってもらいたい。
暫く間が空いたが、その間に、『マーフィーの法則で英語耳』の最初のMurphology男性編を無事100回読み終えた受講者誕生。ひとまずは山を越えた。『英語耳ボイトレ』も全部の課が30回に近づいている。大分英語学習の体力がついてきた。
「音読」の方法はその効用をなかなか信じることが出来ない。効果が出るまでに時間がかかるのだ。だが、『マーフィーの法則』の最初のセクション音読、100回の壁をこえれば、いよいよ本格的な勉強の開始である。
文法は例文暗記
まず「文法」。これはいわゆる初等文法をマスターする。文法問題に出てくるようなむつかしいことはとりあえずはいい。初等文法は大体中学校の英語レベル。で、音読できるようになった文章の文法的な構造を理解する。『マーフィーの法則』は文法の説明があるので、それを参考に、音読を進める。ただ読む段階を卒業しよう。あと、音読の方法を少し変えたい。
松澤さんも國弘さんもすこしスパルタなので、なかなか続かない。最近森沢洋介さんの『英語上達完全マップ』を読んでいたら、國弘方式を簡便にしたものが紹介されていた。國弘方式は100回×5回で500回だからねえ。100回がつらいので回数をへらしていったら、20回だと効果がでなかったという。そこで30回を提案している。これから各セクション30回で先に進めていこう。それを3回、4回と繰り返せば結局は100回を超すし。
まず、マーフィー学女声パートから
リピーティング 5回:テキストを見ながらCDを聞いて発音する。これをリピーティングと言う。フレーズごとにストップボタンをおして繰り返す。
音読 15回:これはCD音源を使わないで行う。段々読んでいて意味が感じ取れるように。状況をイメージして。
リピーティング 5回:テキストを見ないで。ただし不正確ならテキストをみてかまわない。
シャドーイング:5回:シャドーイングとは流れている朗読の英文に一瞬遅れてついて行く。
この30回が上達を確保する最小限だと森沢氏は言う。次の課題、Murphology女性パートは2分ちょっとだから、30回で一時間。一日10回くらいの感じでやれば3日で30回。こんな感じで進めていって欲しい。
教材に関しては森沢氏も中学校の教科書をすすめるねえ。まあ、これはちょっと考えよう。大人の英語講座 初級編と上級編が必要な気もするので。
さて、森沢さんは音読と並行して短文暗唱を進めている。これは僕の方でも少し考えていたので、なにか教材を用意したい。和文英訳であるところがポイントだ。上級編では佐々木高政『和文英訳の修行』をつかうことをすすめるが、この段階ではもう少し簡単なものがいい。いまははやらないパターンプラクティスだが、と森沢氏は断っているが、『ポンポン話すための瞬間英作文 パターン・プラクティス』をちょっとやってみた。結構いい感じだ。口慣らしにいい。CDを聞きながらそのばで英作文が出来るまで繰り返してみよう。全部で2時間30分だから、30分やれば一週間、15分で2週間。8から9の項目をやればいい。
これが終わったらおすすめは大西泰斗(ひろと)氏の『これで話せる英語のバイエル』だ。単語カードとCDが付いている。一時間くらいだ。少しずつ短文暗唱を始めてもらいたい。
さて、この段階で一つ身に付けておいてもらいたいことがある。それは発音記号だ。これは面倒だと思う人が多い。だが英語は完全な表音文字ではないので発音と綴りが違う。ちょっと回り道でも発音記号を覚えて、その記号と実際の発音を一致させる。それには『英語耳』が非常にいい。歌を歌うことに抵抗感がなければ『英語耳ドリル改訂版 発音&リスニングは歌でマスター』がいい。松澤さんの音からの英語は批判する人も多いが、実際にやってみると効果はかなりある。プロソディに繋がる発音指導はやはりこの本である。繰り返しの回数は初心者には厳しいが。それは國弘さんの音読指導でもやはりかなり厳しい。なので実際のレッスンは『マーフィーの法則』を使って30回で次に行く方式でいきましょう。
発音記号と実際の発音を一致させるレッスンはUDA式やハミングバード式などいろいろあった。僕はそうした教材で何回か挑戦したがうまくいかなかった。個別の音の訓練で、興味が続かない。ところが、Jazzの歌を習うようになって、発音記号と実際の発音の一致の徹底した訓練を受けた。それで出来るようになった。耳をきたえてもだめで、口の筋肉を作って、実際に発音をする。そして音と音のつなぎ方も発音記号の連鎖で覚える。これにつきる。ここに注目して徹底して教えてくれるのが『英語耳』だ。音声学の専門家からいくつか間違いを指摘されているようだが、まあ実践的な面では問題にならない。発音記号からプロソディにつなげていくところは非常に面白い。『英語耳ボイトレ』を勉強しているので筋肉トレーニングはそちらでいいので、『英語耳』を参考として使いながら、発音記号と口の形を覚えていこう。個別の発音から発音をつなげていく方法、かたまりとしてプロソディで読む方法、すべて発音記号で行うのである。音読がスムースに出来ないところは発音記号を書いてみよう。そのとおりに繋がっていくことが分かっておどろくと思う。
次は英語のリズムを身体に覚え込ませる。『英語耳ボイトレ』でリズムに合わせて歌を歌うところがあり、結構難しい。そのうち口が回るようになる。だが、そのままだと早口を聞いているみたいな発音になっている。そこでこれを解決するには自分でもリズムを出す。机をたたいてもいいし、身体を揺すってもいい。これを繰り返していると、音が聞こえると身体が反応する。すると、意味が身体の中に深くしみこむ感じが出る。発音記号をみながらこれができると、とてもいい。個別の発音が連結してリズムに合わせて意味が生まれてくる瞬間を感じることが出来れば非常にいい。
腹式呼吸を意識する
これは『英語ボイトレ』で練習しているが、発声を腹式呼吸に変えていこう。英語の発音は音の高低と強弱が日本語に比べて大きいので、腹式呼吸をしないとうまく発声できない。ここは訓練しかないな。口の筋肉と腹式呼吸を一致させる。
ちなみにここは英語の歌を覚えればすべて解決する。『英語耳』の肝はここだ。
1)好きな曲を選ぶ
2)何度も聞く。曲のサウンドイメージを頭にたたき込む。
3)歌詞を入手する。
4)歌詞を見ながら何度も聞く
5)歌詞をみながら、曲に合わせて歌詞を朗読する
6)歌詞をみながら、カラオケに合わせて歌詞を朗読する
6)歌詞をみながら、カラオケに合わせて歌う。
7)何度もカラオケで歌う
8)歌詞を見ないでカラオケで歌う。
冬休みに一曲英語の歌を仕上げるのもいい。
ネイティブ幻想を捨てる
音読や発音を進めると、ネイティブみたいには発音できないですよ、という反応がある。大人が第二言語を学習するときには特別な才能がある人以外はネイティブのようには発音できない。人間の脳には臨界期というものがあり、それを過ぎると学習が出来ないとされている。聴覚の臨界期は非常に早く、ネイティブのように発音するためには子供の時からその言語に触れていなくてはいけない。だが、それにどれほどの意味があるのだろうか。ネイティブスピーカーのように話す必要はない。だが、それは音読や発音の練習をしなくて言いということではない。ここのあたりにイデオロギー的とでもいっていい壁がある。國弘先生のすばらしいところは、この壁を無視して英語の音読を提唱したところである。発音練習はネイティブスピーカーみたいな発音で英語を喋るため、とおもって嫌悪したり逆に励んだりしている人が多いのが実情だ。
だが、発音練習をすると聞き取れるようになる。さらには通じる英語を喋ることが出来るようになる。ここが音読のポイントだ。音から文法、単語を構築して、多読に向かう。
では、ステップ2に進んでいこう。
『英語耳ボイトレ』:10分〜15分
『マーフィーの法則』20分
『ポンポン話すための瞬間英作文 パターン・プラクティス』 15分
くらいを目安にまた毎日レッスンをしてもらいたい。
さて、第4章の書き方である。第4章はコンセプトの詳細を説明する章だ。数理モデル、サーバーの設計、デバイスの設計などを詳細に説明する。概念枠組みをつくった学生もそれを詳細に説明する。
アブダクションで論文を書くという方法は、いままで身についている思考法がじゃまをしてなかなか難しい。こつは第3章の最後で何らかのモデルを提示することだ。民族誌の分析をして何かをデザインする。そしてまたフィールドワークをする。ある程度おこなっていると、なんらかの形が見えてくる。問題はその形なり枠組みを第3章の終わりで提示しておくことである。そうすることで、第4章が正確に書ける。インプットはなにか、それを処理する機能はなにか、そしてアウトプットは何か、である。この作業がコンテキストから関数なりモデルを切り離す、という作業である。まさに言葉の意味通り、アブダクション=誘拐、の作業だ。モデルをコンテキストから「誘拐」するのだ。
第4章はコンテキストから切り離された概念なり関数の詳細である。端末をつくったのであれば、具体的にどのように開発してインターフェイスはどのようになっていて、サーバーとの連携はどうなっていて、といったところを書く。概念枠組みであれば、その枠組みの中がどのような構造になっているのかの詳細を書く。どのような目的が達成されるべきなのか、目的間の関係はどのようになっているのか、の詳細も書く。自分がソフトウェアやハードウェアを開発していない場合は、そこを開発している人の作業をきちんと紹介する。そして、概念枠組みがいかに設計に貢献しているかをしめす。そんなに長く説明する必要はない。ようするに、概念や端末やソフトウェアがどんな構造になっているのかが記述されていればいい。インターフェイスを開発している人間は、ここでアウトプットと人間がであうわけで、実は科学とも解釈とも付かない幻想の世界に入っていくことになる。ここはここで非常に価値があるので、存分にデザインの腕をふるってもらいたい。だが、脱コンテキスト化された装置なり概念を示すだけでは、それが社会的な意味を生み出した証明にはならない。ここでいきなり意味を論じては、勇み足になる。このあたりは非常に難しいところだが、インタラクションデザインが10年以上停滞したのは、この問題をいい加減に処理したからであるとは、Paul DourishがWhere the Action Is で10年ほど前に指摘したことで、いまもあまり変わっていないので、20年くらい停滞しているといっていい。つまりはUsability Studyと認知科学の呪縛から逃れていないのだ。完成したモデルの有効性を説明する命題を作り、それを直接証明しようとする。ここが一番の間違いだ。演繹的には証明できないのだ。そこには解釈と意味の発生という現象学的な大問題がある。ここをすっとばして議論は展開できない。
とはいえ、難しいところはこのくらいにして、第4章を書くこつは即物的に記述すること。つまりは設計図である。デザインも淡々とデザインする。概念枠組みをしっかりと作って、何が何とどう関係すれば何が達成されるかを確立し、それを図示する。複数のメンバーでプロジェクトを行っている場合は、概念枠組みを作る人とソフトウェアやハードウェアを作る人が別れているかもしれない。それぞれに詳細な図面をかこう。
第5章は演繹的証明か帰納的証明である。ソフトウェアやハードウェアを開発した人間は作ったものを実際の現場で使ってみて動いたかどうかを検証する。これは実験ではなくてテストである。ここで難しいことは、現場で動いたことが意味を生み出した、としないことである。インプットがあって、何らかの処理がされて、アウトプットがあった。それだけである。アウトプットの具体的な記述が弱い。それではいけない。サールの説明によればアウトプットの命題に<志向性>が加わって意味が生まれる。演繹法の場合、フィールドテストでインタラクションの結果、きちんとした命題がアウトプットとして提示されているか、が問題である。なのでハードウェアやソフトウェアをつくった学生はここで演繹的証明をする。つまりは動作確認だ。概念枠組みをつくった学生はここで帰納的証明をする。一人で両方をおこなった学生は章を分けよう。第5章で動作確認をフィールドテストとして行い(つまりは演繹法)、第6章で帰納法でデバイスやソフトウェアにコンテキストを与える。
第5章で自分で作ったものをフィールドテストするときには、動作確認に徹すること。これが、演繹的証明となる。ユーザがこれはいいねとかつかいやすいねとか、こうしたものが欲しかった、という反応を解釈するのは概念枠組みを検証する作業であって、動作確認テストではない。こう説明すると、自分の作ったものの妥当性を検証できないのではおもしろくない、という声が開発を行った学生から上がる。そのために第6章があるのだ。フィールドテストで動作が確認できると、これが何の役に立つのか、どうすればいいのかのイメージが次々とうかんでくるだろう。それを語ればいい。これは意見であって、証明すべき命題、つまりは仮説ではない。ここで新たな命題を立ててしまうと、有効性を20人くらいのアンケートで証明するという、C級修士論文になる。それは避けること。だいたいこの手の命題は証明できない。証明すべきは概念枠組みであり、それを証明するのは帰納法の役割である。この形の修士論文にしてプロトタイプの魅力を半減させてしまうことが多い。仕組みを開発した人はその動作確認を現場でテストする。それが第5章になる。
概念枠組みの証明は帰納法になる。動作確認は回路の論理性の証明になるが、概念枠組みには回路がないので、帰納法で証明する。帰納法を使った証明は量的な方法と質的な方法があることは繰り返し説明してきた。これは開発するシステムの質による。だが、なんらかのプロダクトやサービスをイノベーションしようと開発している場合は量的な調査はあまり役に立たない。従来のサービスの効果などを検証する場合はいいかもしれないが、それはわざわざイノベーションとして研究する対象ではないだろう。新商品は利用者の母集団を定義できないからだ。なので僕の指導で修士論文を書いている学生は質的検証を採用することを薦める。プロトタイプがコンテキストを得る様を物語として描けばいいのだ。その方法についてはすでに説明した。プロトタイプをフィールドにもっていって使ってもらう。動いているということと人間が感じる意味を直結させてはいけないと述べた。そうではなくて、どのようなコンテキストで使われていて、人々がどのように自分たちのゴールを達成するかを観察し、それをストーリーとして示せばいい。
これで2章以外のところの指導は終わりである。クリスマス過ぎくらいまでに一気に書いてもらいたい。全体を書ききることが大事だ。全体のドラフトが出来たら第2章に取りかかろう。
12月12日
大人の英語レッスン、そろそろ1ヶ月たった。準備期間が終わろうとしている。いままで何回発音したか実際に数えてみよう。あと、まだTOEFLやTOEICを受けていない人は至急受けること。
『英語耳ボイトレ』
大分慣れてきたと思う。もう1ヶ月くらいになる。これは全部で40分弱なので、一日でやってもいいし、2日にわけておこなってもいい。筋肉をきたえて腹式呼吸を覚えていこう。Lesson1からLesson7まで続けて全部を練習してみよう。
『マーフィーの法則』
ここも大分慣れてきただろう。一日30分と松澤さんは言っているが、このまま続けて、一冊を何度も読み切ってしまおう。
そろそろ本の記号に会わせて読んでみよう。読み方の一部はまえに説明したが、松澤さんは記号を工夫してつけている。単語の最後の子音が次の単語の母音と結びつくとき。 Nothin gis aseasy というかんじだ。次は単語の終わりの子音と次の同じ子音がつながるとき。このときはtha tthere の様な感じになって、まえの子音は発音されないが、音の長さは残る。次も子音がつながり、Mus tbeという感じになりtは発音されない。これらの規則で単語が繋がっていく。もう一つ大事なのは息継ぎ。その記号も入っている。これに従って、発音を磨き上げていこう。最初のマーフィー学のところをCDにあわせて10回くりかえすと30分弱だ。これを今週は目指してみよう。
『國弘流英語の話し方』
さて、この英語講座は本格的な英語の文章を読めるようになる、聴けるようになることを目的としている。日常コミュニケーションのための英語ではないのだ。バイリンガルでない普通の日本人で、とくに語学の才能に恵まれていない、しかも大人がどうやって本格的な英語力を身に付けるかに挑戦している。何回も國弘氏のことについては言及しているが、今回『國弘流英語の話し方』を詳しく紹介したい。これは1970年に出版されて大ベストセラーになった本と同じタイトルだが中身は今風になっている。僕は当時高校生だったが、この本の最初の版を読んで感動したことを覚えている。だがその一方で実践はなかなか難しく、結局泥縄で勉強したままアメリカの大学に1年留学した。僕はその後フルブライト奨学金をうけてアメリカに留学しようと考えて、英語を学ぼうと思った。当時本格的な訓練をしてくれると評判の日米英会話学院に行くことにした。能力別のクラス分けの試験があり、なんと中級クラスになった。それほど英語が出来ないと言っても、周りを見渡せば一番出来るくらいだったので、「なに?」と思った。だが、そこで簡単な英語を徹底的に勉強することになった。3ヶ月後の試験では圧倒的な出来で、最上級クラスの一番上のクラスに編入した。(ちょっと小さな自慢話!!!)そのすぐあとTOEFLの試験を受けて、600点を超えた。まだ最上級クラスでのレッスンが本格化する前のことである。6時30分から9時30分まで3時間週三回に加えて宿題があるので、まあ週20時間くらい勉強した。3ヶ月で250時間弱くらいだろうか。
ちなみに、TOEFL対策はしなかった、というか30年以上のことなので、そのような学校もまだなかった。現在では対策をすると割と簡単に点が上がるようだが、本当の力がそうした勉強法でどのくらい付くかは疑問である。もちろんこの程度(TOEFL600点)の英語力ではアメリカの大学院では通用しないので、大学院留学後1年はかなり苦しむ。いまでもまあ英語力はたいしたことはないなあと感じることが多い。しかし、TOEFLで600点というのはある目安である。中学程度の英語を大学卒業したそれも1年アメリカ留学の経験がある大人がやり直す。そこで圧倒的な能力の向上があった。ここを目指そう。ただし、TOEFLの点を取ることが目的ではないので練習をする必要はない。
だがこの話、つまり簡単なことを繰り返す、を信じて続ける人は少ない。英語が得意な人は問題ない。語学にむいた才能は確かにある。ではその才能がない人はどうするのか。努力するしかない。國弘メソッドの素晴らしいところはこのあたりのことを上手に説明しているところである。行方さんの方法を紹介してきたが、今回は國弘さんの方法を詳しく見ていこう。
音読の功徳
功徳 1
まず音読で頭から理解するという思考パターンが出来る。これは非常に面白い現象だが、たしかに音で聞くとわかるようになる。主語動詞の繋がりが生きた感じになる。意味の分かった文章を何度も音読する。
功徳 2 有意義な多読が可能になる
多読の効果は間違いないが、世の中の多読の本はひたすら読むことを薦めている。だが音読をへてから多読に行く必要がある。ここをとばして多読に行くと、結局行方さんの言っているピントのぼけた理解しかできなくなる。
功徳 3 自分が必要とする会話表現をいろいろな媒体から取り込める
これはちまたに多くある会話サンプル本への批判である。たしかに会話サンプル本も見る人が見れば面白い。だがそれはサンプルの英文がすぐ分かって、その場で発音できる人に限られます。なので会話サンプル集から英語を始めるのは好ましくない、と国弘さんは言うわけです。
功徳 4 英作文の力が会話力になる
頭の中の英語が口にでる。
功徳 5 難しい英語に取り組める
簡単な英語は口が覚えていると余裕をもって難しい英語に取り組める、というわけです。
国弘氏の主張は簡単な文法と例文を音読で身体にしみつけろ、ということである。
発音・発声について
発音に関して何の苦労もない人がいる。だがそうでない人は舌や唇の使い方を学び、練習するしかない。
もう一つは発生の問題。英語の発生の基本は腹式呼吸でここがわからないと、イントネーションもリズムも生まれない。これは『ボイトレ』で練習しているところだ。あと、音の強さ。我々が考えているより大きな声で練習する必要がある。
音読の段階
1:音読のテキストを決める
2:模範の発音を聞いて、テキストの意味を理解する。
3:単語レベルでの発音が出来るようにする。
4:途中でつっかえずに曲がりなりにも最後まで発音できる。
5:構文的な切れ目と音読との関係が理解できる
何処で文を切っているかに注目
6:日本語訳に頼らずに意味が文の先頭から自然にとれる
音読でこの段階にまで持って行きます。
秘訣はこころのなかで話している状況をイメージすることだと國弘氏はいいます。
7:イメージが生き生きと実感できる
8:朗読していて自然さと楽しさが出る
9:テキストの例文の応用可能性にどんどん気がつく
10:英語力が広がっていく可能性を実感できる。
100回読んでいるうちに最後の状態にまでなるのです。
教材は何を選ぶか
基礎作りの時は短い教材を何度も繰り返す。一時間ほどのものを選ぶ。今回の『マーフィーの法則』は一時間ちょっとなので基礎作りに最適だと思う。
まあ、どれも言うは簡単だが、実行するのは難しい。英語を職業としないものが英語の能力を身に付けていくのはなかなか大変である。
そろそろ第3章をかいているころだろう。第1章はまた戻って書き直すので、大体出来たら先に進もう。第2章は最後に書けばいいので、ここで、第3章に着手しよう。今回は現在修士論文を指導している学生向けにちょっと具体的に、かつ修士論文発表前なので事実関係の詳細は省略して書くので読みにくいかもしれない。第3章を書くにあたって、概念枠組みと脱コンテキスト、再コンテキストの流れをしっかりと理解しよう。
第3章ではコンセプト・仮説の提示・説明をおこなうが、そのまえに、まずいくつか整理が必要である。プロジェクトで活動をしてきたために、自分が何をしたか分かりにくくなっている。そもそもプロジェクトがどのようなものであるのかも曖昧になっている場合が多い。まず自分の参加したプロジェクトの全体像を図に書いてみよう。そのときに、大事なことはやはり関数概念である。どのような関数をつくっているのか。そのインプットはなにか、アウトプットは何かを明確にする。そして、さらに大切なことは人間とインプット・アウトプットのインターフェイスを明確に意識することである。ここはプロジェクトの実例で示したいが、まだみんな修士論文を書いている最中なので、いずれそれは紹介するとして、ポイントは、システムのインプットとアウトプットの先に人間がいるということである。ここを明確にする。
プロジェクトそれ自体は研究にはならない。なぜなら、様々な手法を組み合わせて目的を達成するのがプロジェクトだからだ。かつては様々な手法の背後に共通の手法があると考えられ、サイバネティックスやその変形のシステム理論をつかってプロジェクトを記述する試みが行われたこともあるが、このようなインターディシプリナリーな方法は正しいけれど当たり前のことを言うか、オカルトのような正しいのか正しくないのかわからないものになっていった。したがってプロジェクトの中から研究対象を切り出さなくてはいけない。すべてを統括する理論を探すのは神様を捜すような話だ。
僕の指導している学生は基本的にはアブダクション法で研究を行う。したがって現場にいき、経験を積み、民族誌を記述し、それを分析して、アイデアを生み出し、アイデアをまとめてコンセプトを作り、それを検証する。この一連の流れを経験しているところが特徴である。そして、このコンセプトを何らかの形で検証すればいい。
基本の流れはアブダクションだ。アブダクションはC.パースが提唱した考え方で経験をもとに直感的にアイデアを思いつく方法だ。だが、それだけではなくて、それを論理的にモデル化して、帰納的に証明する。現在では多くの科学がこの方法を採用している。流れは
フィールドワークを行う
濃い記述の民族誌を作る
分析する
<アブダクション>
アイデアを一杯作る
仮のコンセプトあるいは仮説を思いつく。
それを説明する。
というのが第3章の記述の流れだ。そして、そのコンセプトの詳細を示すのが、第4章、その仮説を演繹的に解いて実際に動くプロトタイプをつくる、あるいはその有効性を帰納的に証明するのが第5章となる。両方をやるなら、5章6章に振り分ける。
さて、プロジェクト全体の仕組みを明らかにした後で、自分の修士論文の主題を決める。これは勿論第1章でしめすことなのだが、主題をどう選ぶかが非常に難しい。たとえば、人間の歩行のスピードなどの活動をフーリエ式などで変換してある関数に入れると、それが時間軸で処理され、地図上に単なるプロットではなくて、動きの状態が反映された形でデータが作成されるというプログラムを作成した学生がいるとする。すると彼女の主題はそのプログラムあるいはプログラムの素になったアルゴリズムである。フィールドワークからのアブダクションで、あるアルゴリズムを思いついたとする。するとフィールドワークの記述をまとめるとともに、アルゴリズムについてもしっかりとかく。つまり、「歩行者の移動の状態を時間軸でモニターしてXアルゴリズムで解析すると、都市を楽しく経験できるようになります」という文章を書いてはいけない。自分の主題はアルゴリズムXなのだから「歩行者の移動の状態を時間軸でモニターしてXアルゴリズムで解析すると、時間軸ごとに動きの質が反映したデータが生成されて、地図情報と合成されます」と書く。
すると、だからどうした、という意見が来る。これは第5章で、このアルゴリズムで生成されたデータとべつのYアルゴリズムで生成されたデータを活用して、おもってもみなかった形で都市を楽しく経験できるようになります、と将来への展望として語る。こうなると、論証のポイントはアルゴリズムの魅力、アルゴリズムが実装されて動くことになる。ここの作成に関わった学生は主題をここにしぼること。自分の研究を関数概念で意識して、「関数」をプロトタイプ、コンセプト、あるいは仮説として説明する。関数でもいいのだが、まあこれは補助線だ。どのようなインプットをいれると、どのようなアウトプットが出てくるか。それを説明して、その仕組みを説明する。これは商品開発でも同じだ。こうしてああして、こんな形でこんな内容のあるものをつくるようにしました。となればいい。
ここで難しいのは、数理モデルや、実際のプロトタイプを作った学生はそれを示せばいいが、インプットやアウトプットをなににするかの調査を行った学生はどうすればいいのか。これも何を主題とすればいいかを考えれば分かる。いけないのはプロトタイプやモデルを自分の研究の「関数」として言及してしまうことである。こうなると、アウトプットの信頼性の証明が主題となり、わけのわからない社会学的な仮説を作り、アンケート調査するという最悪のパターンになる。これをさけるためには、ちょっと工夫がいる。自分が関わったプロジェクトで作り上げた「関数」を詳しく説明する。これは自分の「主題」ではない。こうしたインプットが入り、こうした数理モデルで処理され、そのデータと別のデータがまた別の数理モデルで整理され、その結果が端末(別の関数)に送り込まれ、処理されて、かくかくしかじかの画面となって提示されます、と書く。関数を主題としている学生、端末を主題としている学生はこのなかで自分の主題を決めればいい。実際にものを作った場合はこの流れになる。
だが、調査をして、プロトタイプのコンセプトをつくった学生は論じる主題がない。実はもう一つ先に進めなくてはいけない。それは概念枠組みである。この分野は人によってマインドモデルなどと呼んだりするが、考え方は同じだ。観察をして分析をして、こんなものを作ろう、ときめて設計図を作る。そのときにその設計図の背後に概念枠組みがある。これを研究主題とする。具体的には利用者が当該のサービスをつかって達成したい複数の目的と、その目的間の関係である。なぜこのようなサービスをうけたいのか、それによって達成するものは何か、を考える。
ここで、注意しなくてはいけないのは「志向性」の問題である。僕の『デザイン思考』では志向性の問題を実際の概念構築から切り分けるために哲学とビジョンと呼んでいる。志向性でいうと信念と欲望である。この二つを概念枠組みから外す。つまりコンテキストからコンセプトを切り離すのだ。これはアルゴリズムを主題と選んだ人も、端末を選んだ人も同じだ。切り離したコンセプトを詳細に記述するのが第4章の課題となる。
と、ここまで読んできて、わかったようなわからないような気になったとおもう。すこし復習しておこう。「修士論文の構成」で、第3章について次のように説明した。「フィールドに行って経験を拡大して、そこからの直観でプロトタイプなどを思いつくわけであるが、どのようなデータをとって、どのような情報としてわたすと人は喜ぶかあるいは感謝するかは情報システムの中にある話ではない。人間側にある。この場合、生理学的に議論すれば科学になる。ここは実験法などを明示して科学的に証明しなくてはならない。そうではなくて解釈学的に議論することも出来る。この場合は質的調査の方法論を採用しなくてはいけない。また僕は好まないが、大量のデータを集めて統計的な処理をする方法もある。このよな量的調査を採用するならその方法を明示する必要がある。この証明をこの章でする必要はないが明言する必要がある。」つまり、ここから質的調査の方法を使う必要があるのだ。
質的調査法では、入力>>機能>>出力>>志向性>>意味の流れに敏感でなくてはいけない。ここをうっかり出力>>意味と直結してしまうから分からなくなる。つまり、この機器やサービスを使って(出力)楽しかったです。(意味)
この志向性を意識して、出力と意味を直結しないようにする限りプロトタイプやアルゴリズム、あるいはインターフェイスデザインに関係していなくても、質的調査によって概念枠組みは検証できる。勿論、プロトタイプやアルゴリズム、インターフェイスデザインもこの方法で証明していく。だが概念枠組みも証明できるのだ。このことを少し説明しておこう。
概念枠組みは仮説でありプロトタイプである。何度も作り替える。そして納得いく気がしたら検証する。そのときに検証方法として、量的調査を採用しがちだ。もちろん量的調査も必要である。がフィールドワークをもとに何かをデザインする場合、ほとんどの場合意味がない。なぜなら、量的調査が前提としている母集団が定義できていないからだ。なので、サンプルを選びようがない。もちろん大量にサンプルをあつめればいいが、それも非現実的だ。作ったもののの妥当性を質問用紙を配ってそれを分析しても意味がない。ここを肝に銘じておく必要がある。それをサービスを使って(出力)楽しかったです。(意味)という形で仮説をつくると、証明方法を巡って収拾が付かなくなる。
ではどのように概念枠組みの妥当性を証明するのか。じつはアルゴリズムもプロトタイプも概念枠組みも同じ方法で証明する。
第3章
経験の拡大>>コンテキストを掴む
行動を記述する
分析する
概念枠組みを作る(脱コンテキスト化にむけて)
第4章 設計図
脱コンテキスト化の詳細
目的を洗い出す。
目的を分類する
概念枠組みを構築する
第5章 証明
装置、アルゴリズムに概念枠組みを埋め込む
装置を作成する>>演繹法 で証明
装置の有効性を実証する>>帰納法 で証明
概念枠組みを使ってつくったアルゴリズムや端末をつかってユーザーが目的を達成するストーリーをつくる(文脈を再び与える)となる。装置が動いていなくてはいけないので、グループのコラボレーションの結果が大事になる。
なので第3章は脱コンテキスト化を目指して概念枠組みを作るようにする。これが僕の方法で言うところのビジョンからコンセプトへのジャンプである。メディカルグループ、えきれいグループとも、すでに概念枠組みは明確に出来ているはずだ。フィールドワークを説明し、分析し、概念枠組みを提示すれば第3章はできあがりである。
付記
上記の話は佐藤郁哉さんの『質的データ分析法』と『実践質的データ分析法』で採用している方法でもある。この方法の歴史的な由来をまとめておこう。『実践質的データ分析法』第10章「データ密着型理論」としてのグラウンデッド・セオリー」を参考にした。
フィールドワークをもとにした調査の有効性について理論にまとめた先駆者はバーニー・グレイザーとアンセルム・ストラウスである。彼らは1960年代半ばに『データ対話型理論の発見』を出版する。ここで彼らは1)調査データに即した理論構築、2)データー収集とデーター分析の同時進行、3)定性的コーディング、4)理論的サンプリングによるデータ収集の4つをあげている。量的調査によって仮説の証明を行う方法に意義を申し立てたのだ。たしかに、仮説を立てて調査をおこなって実証するという流れ、とくにアンケートをあつめて分析する方法はなんとなくしっくりとこない。だがフィールドワークによる調査は仮説を作ることが出来ても検証できないではないか、というのが一般的な流れだった。
それに対してフィールドワークのデータを定性的コーディング、継続的比較、理論的メモで分析すれば検証可能な形になる、としたのがこの考え方である。この方法の詳細はともかく、濃い記述の民族誌を分析していく。これが定性的コーディングである。また関係するところのフィールドワークを繰り返して分析も進める。これが継続的比較である。そしてデータと分析枠組みを照らし合わせてなぜこうなのかと考える。それが理論的メモだ。メディカルのチームはこのあたりのしっかりとした記録をすでに持っている。活用しよう。またえきれいチームもさまざまなところでフィールドワークを繰り返し、分析してきた。
概念同士の関連を考えながらフィールドワークを繰り返す。この作業を理論的サンプリングと呼んでいる。しばらく繰り返していると、これでいいかな、という段階になる。これを理論的飽和という。この段階で説明図式があるはずだ。いま我々が研究している領域では、これが概念枠組みであり、これをもとにアルゴリズムやプロトタイプが作られていく。そして満足いくまで何度か作り直しをする。
さてこの理論の大事な点は、説明図式が出来た段階で、コンテキストから切り離されていることである。現場のコンテキストにこだわっていては、概念枠組みやプロトタイプは構築できない。だが、そうして構築したコンセプトの本当の有効性はそのままでは評価できない。もう一度コンテキストを与える必要がある。これをストーリー化と呼ぶ。
つまりはフィールドワークのなかで思いついたアイデアを概念枠組みにして、アルゴリズムやプロトタイプをつくり、それをもう一度コンテキストにおいて、説得力のある物語が書ければ、コンセプトは証明されたと考えて良いのだ。
12月9日。
修士論文ワークショップを行った。今回は第一章の検討を行った。
大体言いたいことが固まってきた頃だろう。ここで大切なことは視点を決めることである。視点の定まっていない文章ではいけない。まず視点を作ろう。そのためには以下のような枠組みを使う。
第1章の流れ:
私はこんなものを作りました。
これはこうやって作ります。
こうやって使います。
これは良いです。
こんな風に社会が変わります。
この文章に当てはめて書いていく。ここで大事なことはこの段階では文章を長くしないことである。それから、二つあるいはそれ以上の文章をだらだら続けない。無理にでも切る。さらに主語に長い修飾がかかっている場合はその修飾の部分を主語を明確にして独立した文章にする。そうすると短い文章が沢山出来る。それを接続詞で繋いでいく。なにがなんで、どうした、それは、という感じである。こうすることで表現の背後に潜んでいた論理が浮かび上がってくる。こつは主語をからなず意識して、その主語の動詞を意識する。そこができてから主語を説明する文章を考える。ここを意識していないので文章がだらだらと長くなっていく。日本語はそのまま書くと論理関係が明確にならない。まただらだら文章を続けると、本人はいいが、読み手はなんのことをいっているのかわからなくなる。そこで、てにをはがしっかりした文章を作り、文章の間を接続して繋いでいく。すると論理が浮かび上がってくる。この作業を一度すると、なにがなにでどうだ、という論理的な流れを作ることが出来る。
短い文章でいいたいことを作る。主語をはっきりさせ、てにをはを明確にした文章を書き、その文章と次の文章を接続して繋ぐ。論理的な関係がめいかくになった文章が出来る。その文章はちょっとごつごつして変な感じがするかもしれない。だが一パラグラフをそうした文章で書いてみる。そして、自分でしっかりと自分のことを説明する文章のなかにこめる論理を意識する。ここまでが出来たら、つぎに読み手にこの論理を投げ込むように文章を展開する。この感覚は非常に大切だけど、難しい。でおすすめの方法は、友達を前に自分の話を説明する。論理を意識して。友人にはわからなければ質問して、と頼んでおくと良い。そして友人の心に自分の言いたいことがメッセージとして伝わるようにする。この説明を録音しておく。そして、それを文章に起こしてみる。
すると、なんとなく言いたいことが少し言えていない気がする。相手がいると無意識にだが言葉が省略されている。相手がうなずいたり目がかがやいたりすると、言葉にする作業を省略したりしている。なので補う。これを行っていくうちに何をどのように相手に伝えたいかが気になるようになるので、それにしたがって文章を変えていけばいい。こうして生きた文章でかつ論理的な流れを維持している文章を作ることが出来る。だから、それで、つまりね、といった感じで相手に語りかけている気がしてきたら完成である。
ここまでが出来たら、次はもっともらしく書く。「僕はAをつくりました。なんでつくったかといいうとBだからです。でAをどうつかうかとうとこうします。友達に使ってもらったところ、素敵と言いました。なのでみんなにAを使ってもらいたいと思います。するとみんながBが大事だと思ってくれると思います」みたいなことが大まかな流れだ。それをもう少しかみ砕いて文章の数を増やして、文章同士を論理的に繋いでいく。だが、大学院修士の論文でこの形がむき出しになっている文章は、どうかとおもう。そこで、「現在の日本の医療制度において、もっとも問題になっているのは21世紀の日本では疾病構造が20世紀に比べて大きく変化しているにもかかわらず20世紀半ばに制度化された医療システムをいまだに使い続けていることである。本論文では・・・・」と書いていく。もっともらしいでしょ。まあ1年以上勉強を続けて本を読んだりフィールドワークをしたり、プロトタイプをつくったりしてきているので、いくらでもかけるはずである。だがそのときに論理の大枠を忘れないようにしなくてはいけない。また自分の気持ちを込めることをわすれてはいけない。すると人の心に届く論理的な文章になる。このあたりを心がけて第1章を書いていく。すると心がこもっていてメリハリのある文章が書ける。
あと、文章が書けないという問題をもっている学生が未だにいる。それはアウトラインを細かく作りすぎるからだ。アウトラインのそれぞれの項目を文章にすると全体が完成すると思っている。それで手が止まる。これを直す特効薬がある。まずアウトラインをもとに、あたまから文章にしていく。これも口で説明して録音する方法を薦める。一人で良い。資料は見てはいけない。しゃべれるだけしゃべる。内容については項目にQuestioningをする。つまり5W1Hを問いかける。で、ポイントは第1章から第5章まで一気にしゃべる。で録音したものを文章に起こしてみる。で、それを声を出して読み返してみると良い。未完成だけれど、そこに全体像が見えてくる。あるいはまったくのばらばらだとすると、全体像が見えるように語り直してみる。非常に荒削りだがこの作業をすると、全体のイメージを把握できる。あるいは把握できていないことがわかって次に何をすればいいかが分かる。それから執筆すればいい。アウトラインでつくった構造は間違っていたことが分かるだろう。この段階では完成した修士論文のイメージをもっていないと筆は進まない。そのイメージをもとに、書く。書いて、読み直して書き直す。たっぷりとプロセスライティングを行ってもらいたい。アウトラインで部品を作って論文として統合しようとしてはいけない。絶対に生きた論文にはならない。
ところで、証明の方法についていまだ混乱している学生がいる。独立変数をきめて、関数を定義して、従属変数を決める。それだけである。だが、まだ混乱している。修士論文では理論的方法論的に詳細を検討する必要はないが、証明の方法は帰納法か、演繹法か、アブダクションかの選択は必要だ。論理的に矛盾がなければ演繹法で証明できたとする。アルゴリズムを作りプログラムして動けば、それでいい。だがそのアルゴリズムをどうして思いついたか、まで研究に含めたければ、思いつくプロセスの説明が必要だ。ここはアブダクションをつかう。つまり経験を積み重ねて多くのアイデアをおもいつく、というところを説明する。そしてそのアルゴリズムに基づく仕組みがどのような効果をもつのかについて説明したければ帰納法的に説明をする。つまり社会の現象に合わせて説明する。その説明の方法は量的調査と質的調査がある。量的調査ならサンプル数の問題と有効性の統計的な検定の問題を避けて通れない。質的調査であればその手法を明示して記述による証明そのほかを検討しなくてはならない。ほとんどの学生はアブダクションを選択しているのだから、アブダクション>>演繹法(プロトタイプを作り動く)>>帰納法(プロトタイプが有効だったかをしめす)の流れになる。それを明確にする。
第一章ではここが書けていなくてはいけない。これもQuestioningで明らかにする。たとえば、「本調査は##年##月、かくかくしかじかの所でおこなったフィールドワークからの観察をもとにしている。我々は街を歩いているときに興味のあることがあるとそこに立ち止まったりする。あるいは急いで移動したり、あるいはゆっくりと歩いていたりする。我々は自分の置かれている環境に合わせて複雑な判断を行いこうした行動をしているが、こうした行動はほとんどは無意識に行っている。えきれいプロジェクトではユーザーに端末をもたせ、このような移動情報をインプットとして提供すると、今いる街をどのように楽しめば良いかのガイドを提供してくれるシステムを構築した。このシステムは我々が普段意識しないで経験している街をより新鮮な視点から楽しむことが出来るサービスを提供することが出来る。下記がシステムの全体図である。####このシステムにおいて、いくつか要となる所がある。まずアナログの移動データを変換して####。本修士論文では筆者がおもに関わった##のところを主題とする。」と続くわけだ。
上記の文章はこのプロジェクトに関わった全員が自分の言葉で自分のやったことを考えて書けばいいが、つくったシステムの大枠とそれがなにをするものであるのかの説明は明確に行わなくてはいけない。これがrationaleである。ここが曖昧だと何をどのように証明するのかにむけて議論が進まない。あと「実験」という言葉を広く使ってはいけない。コンピュータシステムを開発しながら、社会的文化的な研究をするときに、「実験」という言葉を使うと、厳密な実験をしていると勘違いされる。加えて、もっとまずいのは実験をしているから科学だ、科学的証明だ、という幻想が心の中に浮かんでくる。ここが一番やっかいなところで、この勘違いは博士課程の学生でも頻繁に起こる。それを避けるために科学哲学の知識が必要なのだ。ここをおろそかにしていると研究の有効性の証明が出来ない。「実験」は科学における本当の実験でない限り、禁句だ。また「わたしたちの実験の意味は」という言い換えも禁句。観察とかフィールドワークとか言えばいい。
プロジェクトのrationaleを明確にして、自分の修士論文のrationaleを明確にする。ratinaleは図にかけるのでそれを明確にする。自信がなければその図を壁に貼るとかする。そのrationaleの枠内で、独立変数と関数と従属変数を決める。そして関数・仮説・プロトタイプを明示的に記述する。明示的とはホワイトボックスともよばれ、ブラックボックスの逆で、この関数に入れるとこの答えが出るのは何故かを記述することである。
以上が第1章作成の注意書きと、全体を書くということ、証明すると言うこと、へのコメントである。
次回までに全体のドラフトを完成させる。第3章、4章、5章はもう書けるはずなので、どんどん書いてしまう。書きおしみしてはいけない。書けるところからとにかく書いてしまう。視点が定まり、メッセージの論理的な構造が決まれば、あとは速い。なので、とにかく書き切る。そして、そのドラフトを修正していくのだ。この修正の時間の方がドラフト執筆の時間よりも長い。ここを肝に銘じてこの時間配分を間違えないように。
さて、やっかいなのは第2章 先行研究である。次回の修士論文ワークショップではここを説明する。