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修士論文中間発表

written by  Naohito Okude  on  10-25-2009  at  01 pm
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10月24日

KMD初めての修士論文中間発表である。

3つの教室に分かれておこなった。出来るだけ主査でない教員がコメントするようにわけた。

僕は中村伊知哉さん、大川さん、杉浦さんと同じ部屋で。

KMDは修士論文としてアカデミックな文章作法を要求することに加えて、分析ではなくてなにか創造的なアウトプットを作ることも要求している。このあたりを巡って、発表において気がついたことを今後の参考のためにまとめておきたい。大体コメントした順番に書いてある。

1)オリジナリティ

これは非常に難しい問題だが、剽窃plagiarism)とも深く関わっている。自分が表現したものがまったくのオリジナルである必要はもちろん無い。アカデミズムにおいては他の人の作品や表現を使ってもいい。だが、それはどこからその表現を引用してきたかを明示するという条件においてである。それを怠ると剽窃である。先行研究を言及すれば立派な調査活動だし、だまってつかえば、アカデミズムでもっともいけないとされる剽窃である。意識して剽窃をする研究者はさすがにいないだろう。自分のオリジナリティに敏感でなければ人のオリジナリティも尊重しない。このあたりが大切なところだ。どれが自分のアイデアか常に気をつけると共に、他の人のアイデアやデザインを尊敬することが大切である。

2)先行研究調査

自分が研究する対象に対して、先行研究を調べなくてはならない。そのときに、Webサイトや雑誌といったメディアにのっているものを先行研究としてはいけない。もちろん言及してもいい。あるいはそうしたことに言及する必要があるときもある。だが、基本はあくまで学術論文として出版されている論文である。論文を調べるデータベースも充実している。そこをしっかりと調べる。そして、簡単に内容をパラフレーズする。サマリーではなくて自分の言葉で書き直せばいい。もちろん何の論文をパラフレーズしているかは明確に示しておく必要がある。そしてこれは非常に大事なのだが、直接的に批判してはいけない。僕はこのことを2回学んだ。最初は大学院の時に鈴木孝夫先生の演習で、ある本を読んで、このような主張はおかしいみたいな発言をした。そのときに、鈴木先生は「わかるところだけをつまみ食いして読んではいけない」とおっしゃった。文脈に沿って書いてあるとおりに理解しなさい、というわけだ。大分手こずったが半年位して、分かったところだけを読んで訳してまとめる、みたいな悪い癖を直した。これはクリティカルリーディングという手法であることを後に知った。次はアメリカに行ってレビュー論文を書いたときである。ある学者の説を批判する論文を書いた。すると、後に僕の指導教授になるその先生は、「安易に批判をしてはいけない」というのだ。大事な論文であれば、かいてあるとおりにパラフレーズをする。いくつかそうやって大事な論文をパラフレーズすると、自分が何かできそうなところが見つかる。そこに関して議論を展開する、というわけだ。これは何を意味しているかというと、自分の所属する、あるいは所属したいと考えているアカデミックコミュニティに自分が何を貢献できるかを明らかにするのが、レビューの目的だというわけだ。

3)リサーチサブジェクトの導入 その1

自分の研究主題はどのようなものなのかを素早く紹介する。こつは読み手が質問をしたくなるような表現で、自分の研究のエッセンスを示すことだ。抽象的で間違いのない文章を作ってしまいがちだが、自分の研究のエッセンスを説明して、聞き手が「どうしてなんだろう」と質問してくるような形が好ましい。

4)論文を書く目的を明確にする

この論文は何のために書くのかをしっかりと述べなくてはいけない。なぜこの研究をするのか、とこの研究で成し遂げることが明確でなくてはいけない。何かを改善したいのか、何かを理解したいのか、をきちんと分けて説明する。また個人的な目的を説明することも場合によっては有効である。個人的な興味とか社会的な責任とか、実際に直面している問題といった点から論文を書く目的を明確にする。

5)論理的枠組みの提示

主題(サブジェクト)を導入した後は、その主題を探求していく論理的な枠組みを提示しなくてはいけない。これを英語ではrationaleという。なぜこの主題を研究しなくてはいけないのか、を説明するのだ。論理的な議論の大枠と実際の証拠の記述と説明を行う。どのような方法でどのようなデータをつかって主題を探求するのか、を説明しなくてはいけない。主題に対してどのようにアプローチしていくかをで示してもいい。提示した主題に対してどのような理論を使い、どのような証拠を使って、どのような結論をえるのか、を手短に説明する。ここが非常に大事である。

6)リサーチクエスチョンと仮説の導入

Rationaleを説明すると、論理的で具体的な説明が出来ない箇所が明確になる。そこを指摘して研究の対象とする。これがリサーチ・クエスチョンの提示であり、仮説の構築である。論理的な枠組みや具体的な調査の方向が決まらないと、リサーチクエスチョンが見つからない。リサーチクエスチョンがないと、仮説の構築も証明も出来ない。というわけで、論文の核はここにある。ここがわかっていない発表が多い。

具体的な理論が明確でないときにでも論理的枠組みをつくって研究を行うことは出来る。そのときはリサーチクエスチョンを明確にして研究を行う。なにをクエスチョンにするかで研究の方向がきまるので慎重に行う必要がある。

利用する理論が明確なときには仮説を構築することが出来る。既存の知識と理論を組み合わせて、変数を整理して関係付け、独立変数がこうなると、このように従属変数が変化するかを予測する。いくつかの変数があり、どの変数とどの変数を組み合わせると(つまり関数とみると)どの変数の値が決まるのか、ということである。この関係を明確にしておかないとアカデミックな議論は出来ない。「毎日60分英語の発音の練習をすると英語の読解能力が著しく増加する」という表現ではリサーチクエスチョンも仮説も構築できない。同じことを「60分間英語の発音を毎日行うと、TOEICの総合スコアが著しく増加する」といえば英語の発音がテストのスコアの上昇という従属変数と関係していることが表現され、それを実際に実験によって証明できることもわかる。このように書くと非常に簡単だが、実際に自分の研究でリサーチクエスチョンを作ることは難しい。それは何をどのように解決して何を得るのかというrationaleの検討が甘いからだ。証明に使う理論が明確なときには仮説を作ることが出来る。具体的な理論無しの仮説を貧弱なデータで証明する、ということが社会科学や心理学の分野では多くなるので注意が必要である。

仮説はすでに確立している理論がつかっている命題(proposition)を使う。したがって、仮説を提示するには先行研究のレビューが必要になる。先行する理論をふまえて、検証可能な仮説を構築することが必要なのだ。

7)方法論の決定

リサーチクエスチョンは簡潔の述べなくてはならない。だが、研究を何ヶ月にもわたっておこなっていると簡潔に述べることが非常に難しくなる。議論を構成する変数はなにか、をじっくりと考えて整理することが有用である。リサーチは量的な方法質的な方法がある。量的な変数を扱う場合は、リサーチクエスチョンが曖昧ではいけないし、変数間の関係が明確に書かれていなくてはいけないし、さらに実証できるものである必要がある。質的な変数の場合は、ちょっとやっかいである。

質的な調査は先行する仮説が存在していないことが多い。したがってリサーチクエスチョンが自分の研究したい対象に焦点をあてる道具になる。自然科学的方法とは異なるが、論理的学術的な説明であることには変わりがない。注意することは、帰納的な説明になること、つまり、人々が社会のどの側面と、どんなものを通してインタラクションをしているか、インタビューなのか、観察なのか、どのようなデータが文字、図、写真で記述されているか、誰が何処で何をどうしたかというコンテキストが適切に提供されているか、データをどのフィールドで収集したか、データの信憑性を説明できるか、参与観察をどのように行ったか、社会関係を明確に出来ているか、などなどである。

デザインの分野でユーザー中心あるいはゴール中心主義といわれる開発手法は質的な調査を基礎としている。したがって、何をどのように説明するかのrationaleを明確にした後、量的な方法でのみ証明するような仮説を構築してはいけないのである。KMDではこの分野の研究が多いので、相当注意する必要がある。

リサーチクエスチョンに答えるだけでは、調査した結果、こうでした、としか言えない。仮説を構築して調査の結果証明されると、「世界がこのように構成されているという仮説を構築して、実際に世界をその方法で見てみると、その通りだったことが分かりました」と説明できる。質的調査をしていかにして仮説を構築するか?ここは実はなかなか答えのでない大問題である。この問題を考えるのが科学哲学という領域であり、修士論文を書く前に一度は入門書を読んで学んでもらいたいところだ。おすすめは下記。簡単に読める。

戸田山 和久 『科学哲学の冒険—サイエンスの目的と方法をさぐる』 (NHKブックス)

8)アブダクションを活用して、仮説をつくり、プロトタイプとする

論理的な方法で解決する仮説と、帰納的な方法に留まるリサーチクエスチョンのほかにも研究をする方法がある。それがアブダクションで考える、という方法である。その背景には創造や直観を行う人間の能力がある。観察によってデータを集めても、つまりいくらリサーチクエスチョンにこたえても理論は作れない。帰納法の限界だ。一方検証を行う演繹からも新しい理論は出てこない。科学哲学者チャールズ・パース(1839~1914)は人間の推論には演繹と推論とアブダクションの3つの形式があるのだと指摘した。彼の言うアブダクションとは、説明すべき事実に対してたくさんの仮説を立てて、その中からもっともらしい仮説を選び出す推論プロセスである。仮説を沢山作り、そのなかからもっともらしいものを見つけ出す。何故か閃く。これは人間が生物学的に備わっている能力だ。したがって、沢山仮説を作り、そのなかからもっともらしいものを探し、それを検証可能な仮説に変形する。より単純で、より簡単に実験できる形にする。つまり素早く検証できる仮説が正しい仮説なのだ。アブダクションによる仮説の検証のためにプロトタイプを作ると考える。この仕組みをしっかりと理解して大量に仮説を作り、そのなかから検証出来る仮説を選び出していく。このためにも帰納法や演繹法での批判をのりこえる知性が必要で、つまりは、科学哲学を学ばなくてはいけない。

パースとアブダクションについては沢山本があるが、下記はおすすめ。

米盛 裕二 『アブダクション—仮説と発見の論理 』(勁草書房)

9)哲学の明確化
仮説は命題の形で提示される。その命題の証明のレベルをしっかりと考える。量的、質的、論理的に妥当に説明できるものなのかをプロトタイプを作って考えていくのだ。

プロトタイプをつくり、実際に動く。ここがしっかり出来ると国際学会でも通用するようになり、研究者として評価されるようになる。その水準に達している学生もいる。そうなってくると、なぜこのプロトタイプで証明される仮説が意味をもつのか、というもう一つ上の段階の考察に移って欲しい。ロボット研究において、人間とロボットはどのような関係を持つべきなのか?これは哲学者にロボットを解釈して議論してもらうのではなく、ロボットをプロトタイプとしてその上の議論をする必要があるのだ。研究の背後にある文化的哲学的なところまでしっかりと考察を展開する。ここに踏み出していかないと、実は独創的な技術もデザインも生まれない。

10)リサーチサブジェクトの導入 その2

何を研究するかのリサーチサブジェクトの導入が遅い学生が多い。論文やプレゼンの冒頭ですぐに何を研究するかを導入する。だが、なぜそれができないか。しっかりと研究をしてきた学生にその傾向が多い。それは頭の中で理解していることをそのまま表現しようとするからである。哲学的にはこれはrepresentationと呼ばれる。頭の中に本質的な何かがあって、それを論理的実証的に表現(representation)する。この流れをナイーブに信じていると、表現していることが混乱して何を言っているのか聴いている人は分からなくなる。また本人は説明しても説明してもまだ足りない感覚になる。頭の中にあることを手を使って目の前に出してみる。すると比喩的に言えば、頭の中の状態を微分しているわけだ。そこしか我々は触れることができない。条件を変えて何回か微分したものを並べると何となく頭の中にあるものの見当が付くかもしれない。それをいきなり頭の中にあることをrepresentationしようとするから分からなくなる。

この問題を科学哲学的に正しく理解しておくことは博士課程の学生にとっては不可欠である。だが、修士の学生には、解ける問題を解け、と教えている。言いたいこと、考えていることはたくさんある。そのなかで、説明のモデルが作りやすく、つまりパラメーターが整理されていて、パラメーターに入力するデータの獲得が安易なものを探し、仮説を構成する。ただし、その仮説は証明した結果意味があるものでなくてはならない。そうした可能性のある仮説を一つ選んで論文にする。これができれば修士論文と言っていい。つまり、リサーチサブジェクトは戦略的に選ぶのである。

11)新しいrationaleの提案

経済学では人間が利益の最適化に向けて合理的に行動する、と考えてきた。マーケティングも提供する機能やサービスに対して消費者は利便性を考えて購入の判断をするとしてきた。政治学においても最適な情報が与えられると人々は合理的な投票行動をするとしてきた。そのような行動を起こさないときは、社会システムと行動する人間の考え方の方に問題があるのでそちらを直す必要があるとしてきた。合理的なシステムをつくり、合理的に思考する市民を育成する。啓蒙のプロジェクトとも呼ばれる。だが、最近人間は非合理に感情に左右されて行動するのでは、と言われ始めた。まず経済学で行動経済学という分野が生まれ、提案者はノーベル賞までとった。マーケティングでは経験価値ということがいわれて、インターネットによる個人の消費行動の把握とあわせて、大きく考え方が変わってきている。政治学においても合理的な市民を育成し、合理的な民主主義システムを構成するべきだというヘーゲルをへてハバーマスにいたるまでの政治哲学の考えに対して、疑問が出てきている。オバマ政権のポリシーデザインのブレインの一人にこのような考え方をする法哲学者キャス・サンスティーン Cass Sunsteinがいることはこのblogの初回で説明した。

インターネットメディアはマスメディアとことなった性質を持っており、メディアから人間にあたえるさまざまな刺戟を独立変数として、その結果の従属変数を民主主義にする論理的な枠組みが成立する可能性がある。そうなると、論理的な枠組みの中でつかわれているパラメーターを関係つける仕組みがかわってくる。このレベルの枠組みをパラダイムとも言う。いままでとちがった論理的枠組みを提案する、つまり別のrationaleを提案することも必要な局面が出てくる。そのようなときは躊躇せずにrationaleを変えるべきなのだ。研究のrationaleを説明し、リサーチクエスチョンを探し、仮説(先行理論を活用した独立変数と従属変数をくみあわせた命題)を調査で検証するまえに、研究のrationaleそのものを検討する。仮説を証明する仕組みを比較的安易にプロトタイプできるようになっているため、何のために何をプロトタイプするか、というrationaleの検討が求められている。デジタルメディアで政治や経済を扱うときにはここまでさかのぼるべきなのだ。

キャス・サンスティーン の本は下記が翻訳で読める

実践 行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択

インターネットは民主主義の敵か (単行本)

自由市場と社会正義 (農政研究センター国際部会リポート)

12)素朴な調査・評価をしない

プロトタイプ思考による仮説を証明する武器の一つはベイズネットワークと呼ばれる新しい確率理論である。アブダクションの現象とも相性が良く、デジタルメディアの中に組み込むことも難しくない。だが、むやみやたらに数字を使えばいい、というわけではない。社会科学において量的方法を採用する場合は厳密な確率統計処理の方法と推論、および推論の限界を理解しておかなくてはならない。また実際にプロトタイプをつくってその有効性を評価するために量的な方法を導入することはほとんど意味がない。それだけの調査を行う時間も予算もないからだ。ところが非常に多くの論文が稚拙な質問票をつかって調査をして、すくない事例から乱暴に結論を導き出す。12名に質問をして、8名が好きだといったのでこのモデルの有効性が証明されました、といった議論が多いが、このような論述は絶対に行ってはならない。量的調査に関する基本的な知識を勉強しておくことが必要である。質的調査においても同じで、丁寧な観察と高品質の記述がなされているかどうかが非常に大切になる。作りました、そして、評価をしました、という流れは基本的に間違っている。このような目的を達成するとこういったことが可能になるという仮説をもとに、このようなプロトタイプをつくり、それを使ってみた結果、当初の目的が達成できました、という言明を、量的、質的、あるいはその混合で適切に証明できなくてはいけないのである。博士課程になってもこの基本が守れない研究が多い。

13)高度な数学モデルに挑戦する

僕たちの思考は普通の状態だとニュートン力学の枠の中にある。それは義務教育から大学教育に至るまでこの法則を前提に組み立てられているからだ。この枠組みでは僕たちは一個の意思を持たない原子だ。重力の法則がある空間でランダムに動き回っている粒だ。何かにぶつかると、自分も相手もそれぞれ違う方向にむかって飛んでいく。無数の原子がランダムに動きあらゆる方向に飛び散っていく。重力の作用によってランダムな動きはある一定の方向に向かっていく。近代社会の決まりであるアメリカ憲法は明らかにこの考えを前提としている。医学もそうだ。だが、19世紀の後半からこうした考え方に疑問が生まれ20世紀の初頭に量子力学がうまれ、僕たちは一個の原子ではなくて、相互に連鎖している存在だと言うことと、連鎖の関係が決定論ではなくて確率論であるという世界があることが分かった。量子力学は応用性が高いので化学を学ぶ学生であれば大学生の始めに学ぶ。だが、僕たちはそれぞれ意思をもった存在であり、お互いに連鎖して社会を形成しているという認識を研究をしているときにもっているだろうか?あるいはたとえ持っていたとしてもそれをどのようにモデル化して、社会に適応すればいいのだろうか?rationaleの再検討を行っていくと、この問題にぶつかる。

これに対して一つの答えを出しつつあるのが、集合知ベイズネットワークといわれる考え方である。この考え方を上手に使って、rationaleを変えると、仮説が作りやすくなるだけではなくて、仮説を証明するモデルも作りやすくなる。だがモデルを構築するときに数学が必要になる。これは世界的な傾向で、多くの物理学者が社会科学やメディアの分野のモデル構築の分野に転向している。日本では『渋滞学』の西成 活裕が有名だ。

モデル構築を修士論文のテーマにしてもいい。質的調査でいまの社会のあり方を感じて、それに何かで貢献する仮説を立てる。そして入手可能なパラメータを考え、その結果生まれる従属変数を決める。ところがパラメータを処理して意味のある従属変数にするモデルあるいはメカニズムがうまく動かない、ということがよくある。ここを数学モデルとして解決することは大きな貢献である。この分野にもおそれずに挑戦して欲しい。

新しい数学モデルを詳しく説明しているのは

S.J.Russell, P.Norvig 『エージェントアプローチ人工知能 第2版』

この辺りの基本は僕のKMDの授業でも詳しく説明と演習を行っている。

14)見えないことをデザインする

任天堂宮本茂さんが10年以上前から繰り返し提案している概念に「ゲームプレイ」がある。任天堂のゲームを買い、テレビにつなぐ。すると画面が出る。その画面をコントローラーで操作してゲームを行う。どのように画面をつくるか、これをゲームグラフィックスという。コントローラーをどのように設計するか、これはゲームメカニックスである。それぞれ専門家がいて高度な技術を駆使して作っている。だが、任天堂のゲームをユーザーが購入するのは、ゲームを楽しむためである。ゲームを楽しむという経験をゲームプレイと呼ぶ。ゲームボーイを分解しても「ゲームプレイ」はない。ゲームと人間との間にゲームプレイがある。ここをデザインすることが一番難しいのだ、というのが宮本さんの話である。僕はこの考え方がとても好きで、経験デザインの世界でそのまま使えると思っている。インターフェイスの使いやすさを問題にするユーザビリティが証明しやすいパラメータを多く持っているために、インタラクションデザインの学術論文の議論はそこに集中する。だが、デザインしたメディアがどのような経験をユーザーに提供しているか、が研究の主題になるべきなのだ。

これは言うが易く実行するのは難しい。というのはグラフィックスもメカニックスもエンジニアリングの技術を要求するため、そこを論じるだけで論文として成立する。これは大学だけではなく、企業の研究開発においても同じで、グラフィックスの高度化やメカニックスの先端化にたいして研究開発投資を行うが、あたらしい経験の創造にたいしては、任天堂やアップルなどの会社は別として、投資をしていない。具体的な形をしていないため、開発にお金がかからないとか、だれでもできることだとか思っている節がある。学会でも「技術的な新規性がない」とはねられることがある。

だが、見えないことつまり経験をデザインすることに価値がある研究はそのまま直球で経験デザインについて語るべきなのだ。そして21世紀の経験はたんなる効率、便利になりました、誰でも出来るようになりました、ではなくて、楽しみました、幸せになりました、希望が持てました、悲しみから脱却できました、という感情に突き刺さるものであるべきなのだ。つくったものがなになのか?なぜそれをつくったのか?まずは作ってみる。動いたプロトタイプがどのような経験を我々に与えてくれるのか、これは使ってみないと分からないことが多い。そしてそれが分かりかけてきたときに、その仕組みが我々に提供する経験とは何か、それをどうデザインしていくか、を検討する。

どのような経験をどのようなデザインをつかえばつくりだすことができるか、これをプロトタイプを使って考えていく。プロトタイプが仮説になる。このプロトタイプを使っていままで誰も経験できていないことをデザインすれば、そこに大きな価値が生まれる。これをコンセプトが証明されたという。この問題を正面切って自分の言葉で語れない限り、経験デザインは出来ない。メディアデザイン研究科はプロトタイプを素早く作る方法を教えている。その能力をつかって、経験をデザインする作業に挑戦して欲しいのだ。新しい経験を得ることが可能だと適切に証明できればそれが業績なのだから。この出口をまるめてしまい、平凡な方法にすると、価値が一気になくなるのだ。

15)先端のマーケティング理論を取り入れる

現代のマーケティングを確立したのはフィリップ・コトラーである。慶應大学の村田昭治先生がハーバード大学に留学して、帰国後コトラーのマーケティングの教科書を翻訳した。僕が大学院生の時に高橋潤二郎先生から「マーケティングはこれ一冊を読んでおけばいい」といわれて、読んだ本だ。『マーケティング・マネージメント』である。それ以降翻訳チームが変わり、12版を重ねて今に至るが、いまだにこれが定本である。工場で商品を大量に生産して、それをマス広告と流通システムを最適化して、小売店に配り、消費者に購入してもある。この流れを最適化することがマーケティングのすべてである。そして、消費者を個別に把握することが出来ないため、さまざまな調査法やデータ処理法が工夫されて、現在に至る。だが、こうした「科学的な議論」の必要が無くなってきている。なぜなら直接消費者と生産者がコミュニケーションできるようになったからだ。このことは2001年にでた第10版の最初にも書いてある。

インターネットを介して直接消費者と接することが出来るようになって、マーケティングの方法は大きく変わってきた。インターネット以前から実験的に行われてきたOne-toーOneマーケティングは今では当たり前だ。またサービスという領域が顧客だけではなく、顧客を提供する従業員も第二の顧客である、といった考え方も生まれてきた。シュミット経験マーケティングの考えを打ち出し、経験経済の議論も盛んだ。大量に生産したものを消費者に売り込んでいくというマーケティングの方法ではなくて、顧客に新しい経験を提供する方法を工夫することがマーケティングの手法となってきているのだ。その意味で、ビジネススクールで教えるよりもKMDのようなクリエイティブの方法を教えている大学院の方が新しいマーケティングは向いているような気がする。

顧客の経験を生み出す方法を模索している新しいマーケティング理論は経験デザインと同じところを目指している。古いマーケティングの方法や広告戦略、ブランド戦略は勉強する必要ない。そうではないマーケティングの世界に目を向け、その手法を学ぶことが必要である。

16)なにをリサーチサブジェクトとするか

具体的に何かを作るプロジェクトに関わったときに、考えて、実装して、評価するというPlan>>Do>>Seeの流れすべてを含む形で自分のテーマを決めてはいけない。考えました、実装しました、有効性を評価しました、という流れの論文が多くなるが、こうした論文は実は評価のところだけを議論しているに過ぎない。Planは市場の規模とか特性の分析である。Doは実際にプロダクトやサービスを作る作業だ。Seeは作ったものの評価である。だが、作るという作業を自分たちで行っているときにはじつはPlan>Make>Do>Seeなのである。何をどのように作るかを試行錯誤して検討するMakeのプロセスがある。そして、ここで解決策がみつかりDoに移行できたときにはそこに特許など価値が生まれている。なので、Planをサブジェクトとするか、Makeをサブジェクトとするか、Doをサブジェクトとするか、Seeをサブジェクトとするかで論文の質も違えば投稿する学会も違ってくる。どれを選んでもいい。だが自分が関与するところはどこなのか、を決める必要がある。選択の基準は意味があり証明が容易な仮説が立てやすいところである。

何をサブジェクトとするかに関して自分が関心あることがサブジェクトになると思ってはいけない。たとえば、なにか魅力的なインタラクションデザインのプロトタイプを作ったとする。どうしてこれは美しいのだろう、ということに注目すればこれは美学の論文になる。どうやって作ればいいのだろうか、というところに注目すれば、詩学つまりはMakeの方法の論文になる。この美しいものをつかってどのようにビジネスを行うかを考えると、ビジネスモデルやマーケティングの論文になる。そしてこのインタラクションプロダクトをどのように使えば効果的かを研究すれはこれはHCIつまりインタラクションの研究の論文になる。もちろん全部を語っていい。だが一つの論文ではどれか一つが表に出てきて、のこりは脇役だ。どうしても書きたければ別の論文にすればいい。この判断が出来ないと何を言っているのか分からなくなる。

17)デザインを行うことは仮説をつくること
リサーチサブジェクトを設定して、適切なリサーチクエスチョンをつくり、データをあつめて質的分析をする。ここで立ち止まってはいけない。デザインのジャンプ仮説としてのプロトタイプの構築をしなくてはいけない。

サブジェクトの選定>調査>分析>>デザイン(仮説構築)>>検証という流れである。分析を仮説に構築するながれはアブダクションである。沢山の仮説を考え、プロトタイプをつくり、うまくいけば、仮説を検証する。このながれはWaterfallつまりのように上から下に流れるのではなく、何度も反復をする。うまく仮説が作れない、つまりプロトタイプが作れないときは、分析、あるいは調査に戻ることもあるだろう。だが、最終的に出来たときには適切にサブジェクトが選択され、リサーチクエスチョンを見つけ出し、調査を行い分析をする。それをもとに仮説を構築、つまりプロトタイプを作成する。ここはアブダクションなのでやってみないと分からない。そうして出来たプロトタイプがきちんと仮説を証明しているか、つまりちゃんと動いて目的を達成しているかを検証して、終了である。分析から仮説(プロトタイプ構築)までのジャンプを論文のなかに入れることが必要である。

18)全体を見失わない

プロトタイプを作る作業は、数学的なモデルの構築から、インタラクションの設計、さらには地道なプログラミング作業が続く。大変な作業だがその一方なれてくると結構面白い。ここに罠がある。部品を作ることが目的になり、高度な、ときにはオーバースペックな開発を行うが、全体を見失う。この罠にはまらない秘訣ははインテグレーションハーモニーを常に意識し、また作業の中で確認することである。インテグレーションは作っている様々な部品があつまって一つの全体的な形を構成している状態。いつもインテグレーションが確認できないといけない。ハーモニーは要素どうしが繋がって動いている状態。全部の部品が連携して動いている状態をやはり確認しながら作業を進めて行かなくてはいけない。そして作っているものが今その状態で魅力的に輝いていなくてはいけない。この態度をまもらないと、いいプロトタイプは出来ないし、それを使った感動なり経験をデザインすることは出来ない。つまり仮説であるプロトタイプの有効性を証明できないのである。いつもコンセプトの有効性の証明 proof of conceptを心がける、ということである。


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