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大人の英語講座 KMD流 Lesson 4

written by  Naohito Okude  on  12-07-2009  at  10 am
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さて大体毎日英語の発音練習をするという習慣が出来てきた頃だろう。

『英語耳ボイトレ』

この本もだいぶなれてきたところだろう。ここで声の出し方をもう一度確認するためにLesson1からLesson7までをとおしてさらってみよう。歌のところが達成感もあるためつい繰り返してしまうことが多いと思う。しかし、大事なことは顔の筋肉を作ることである。またこの練習をとおして音のイメージというものをつかみ取るようにする。この練習は朝が良いと言われている。声量が大事である。教科書をもって両腕を伸ばし、CDに合わせて音読してみよう。暫く行っていると、一語一語舌が発音を確認できるようになる。あと、この英語講座は正しく英文を読めることが目的である。英会話ではない。発音練習は音のイメージを身体に作っていくことが目的である。繰り返すが、レッスン1から順番にLesson7までを何度も繰り返す。今週5回繰り返すことが出来れば上等である。

『マーフィーの法則』
これは手こずっているかもしれない。かなり難しい、と感じたら次のように対応してもらいたい。

ステップ1: テキストを読むのがよく分からなければ、発音記号をつけてみよう。

発音記号をつけるのは手間だが、辞書を引いて書き写す。英語の辞書は買っただろうか。購入して机の上に置いておいてもらいたい。英語勉強セットだ。鏡、メトロノーム、辞書。つぎに『英語耳ボイトレ』発音バイエルをつかって、発音記号通り発音をしてみる。これは非常に効果がある。僕はジャズを歌うが、初心者の頃、ジャズの先生から発音記号を書き写してそれ通りに口をトレーニングするという方法を学んだ。英語発音の手引きの本が沢山あるが、音が繋がっているところをそのまま練習させようとするものが多いので、実際には役に立たない。battleshipは英語では###と発音します(###はカタカナ)みたいな話である。間違いではないが、子音と母音が組み合わさってしかるべき規則で音が変化していくので、そこを覚えてしまえばいいのだ。なのでそれを行ってみよう。発音記号をつけてそのとおりに発音をする。ちなみに、日本人風の発音でもかまわない。何となく練習しているうちに筋肉が動くようになる。鏡が役に立つ。

ステップ2:次に口をならす。

一気に続けて発音するところは一気に発音する練習をする。これも実際慣れてくると意味の固まりを感じて発音できるようになる。難しいのはここからで、実は英語のスピードは僕たちが感じているより速い。このスピードで話せなくても良いが、聴けないといけない。何度も聞き返すとか沢山聴く、という方法が一般的だ。勉強しやすいためだろう。電車の中で聴いていればいいわけだから。だが、これでは聞こえるようにはならない。あるいはなるとしても膨大な時間がかかる。自分で発音をして、ナチュラルスピードで、拍に合わせて発音練習をして暫く立つと、何故か聞こえてくる。これが『マーフィーの法則で英語耳』の表紙に書かれている「3ヶ月であらゆる英語が平易にゆっくり聞こえ出す」という現象である。なのでスキーで急斜面を転がるようにとにかく口をならす。ひっかかるところがあればそこだけゆっくりと発音して、口の筋肉が動きを覚えたら早くする

ステップ3:メトロノームを使う

『マーフィーの法則』のCDの拍のスピードは大体60である。これを40にしてみるとかなりゆっくりでらくになるが、それでも早いところは早い。拍に収めなくてはいけないからだ。収めるには子音を繋ぐ。おさまらないところにをつけてみよう。そこを練習する。

ちょっと細かく説明してみよう。

3.If there is a possibility of several things going wrong, the one that will cause the most damage will be the one to go wrong. という文章がある。これに発音記号をつける。ここでは発音記号を表示できないで省略をする。次にこの文章を聞いてみる。

そこで、CDもメトロノームも無しで、

If there is a possibility of several things going wrong,
の文章を一息で言う。切ってはいけない。発音記号だけを続けて読む感じ。

the one that will cause the most damage will be the one to go wrong.
ここも同じに一息で読むのだが、
the one that will cause
がやっかいである。ここは
the one tha twill cause
としてthat の最後のtをwillにつなげてしまう。twillはそのまま発音しても良いし、tを無音化してもいいが、省略しても音の長さは維持する。(t)willという感じである。こうしないと拍に収まらない。

most damage もmos tdamage となりここのtは無音化しないと続けられないだろう。でも舌はtの発音のポジションに置く。

で一息でこの文章を言おうとすると、口の周りの筋肉がたっぷりと動くのが分かるだろう。ここがトレーニングされていないと早くしゃべれない。この練習をしているうちに文の固まりで、つまりプロソディで英語が聞こえてくる。聞こえているように発音しても耳のいい人は出来る。だが普通は無理である。なので口の形と筋肉を作っていく。

これを松澤さんは
1)文章を意味のまとまりで区切る。
2)意味のまとまっている複数の単語を、まるで一つの長い単語のように、連続して発音する。
3)重要な単語は強くゆっくり発音する

(35ページ)と指導しています。

このあたりは出来なくてもやる、という態度が大事だ。そのうち分かるようになる。口の周りの筋肉が付かないとどうしようもないので、あきらめないでちょっとずつ繰り返して進めましょう。

『英文快読術』を読む。

今回も行方さんの本をパラフレーズして紹介したい。前回と重なるところもあるが、何度で繰り返しても良いので、また書いておく。今回は『英文快読術』である。15年ほど前に出た本で愛読していた。数年前に岩波の現代文庫におさめられたのでいまでも簡単に入手可能である。これをすこしKMD流にパラフレーズしておこう。

自分で考えたことを相手に理解してもらうために英語を学んでいるだけではなく、人が考えていることを読書を通して理解するために英語を学んでいる。したがって、かなり高度な英語を読んでいく必要があるのである。この講座では多読も来週くらいから始めるが、この問題についても行方さんは分かりやすく説明している。快読とは、ナチュラルスピードで読んで100%理解できている状態だ。この気持ちが良い感じが大切、ということである。

大切なことは僕たちが普段触れている英語は難しすぎる、ということである。難しい英語を中途半端に勉強しても分からない。だが、そのことは日常英会話が出来ればいいという話でもないことである。易しい英語をしっかりとみにつけて本格的な英語が理解できるまでの正しい道筋が制度として確立していない、というところが問題なのである。なかなか痛快なのは大分前にベストセラーになったThe Universe of English(1993)に関して、内容は良くできているが、英語を勉強するテキストとしては難しすぎると断じているところだ。こればベストセラーになるのは英語へのコンプレックス現象のあらわれだとのべているところだ。で、行方さんは大学では入試が難しすぎると述べる。さらに痛快なのは大学のテキストが「素人のような在日英米人の軽いエッセイ」が幅を利かしているとおこるところだ。僕が大学に入った頃、教科書はこの手のどうでもいい英語に満ちていた。ジェームス・カーカップの書いた本など時間の無駄としか思えなかった。(本書では行方さんはカーカップに同情的だが)。あと、「総合教材」を批判する。これもなつかしいが、日常生活を舞台にデートしたり動物園に行ったり、みたいな教科書である。大学にはいってなぜこんな教科書を勉強するのだ、という感じだ。そしてビデオ教材も批判する。字幕に頼らないで映画を見ることが出来るという目的でつかわれているが、そんな難しいことは簡単にはできないとする。本当にそうである。1990年代の終わりだったと思うが、朝日出版社というところが出している英語の勉強雑誌にきちんと英文雑誌の記事を読む、みたいな連載をしたことがあるが、世の中、簡単な英語、ビデオでの英語学習ブームに沸いて、僕の連載はちょと浮いていたことを覚えている。

行方さんの本が面白いところは、教養ある本格的な英語を吟味できるようになりましょう、と述べて、現状は難しい英語を勉強しすぎている、と切り返すところである。また一方で行き場のない英会話あるいは簡単な英文理解しか要求しないような英語教育も批判する。彼のポイントはナチュラルスピードで英語を理解する、というところにある。優先するのはナチュラルスピードである。ナチュラルスピードで理解できるところまでレベルを下げて、英語を学び直そう、ということである。ここがポイントで、みなぼんやりと難しい英語をいいかげんに理解しているだけだ、というわけだ。

前回も繰り返したが、ぼんやりしか理解していない一番の問題は自動詞と他動詞の区別が出来ていないことである。ここから初めてどのように大人が英語を学んでいけばいいか。行方氏の提案している方法はナチュラルスピードでの英文理解を簡単な英語で行う、というものである。彼は名作朗読カセットを進めている。多読が最近盛んになりいろいろな本がでている。これについても順次検討していきたいが、少ない単語数の文章を音読し、それを一方でナチュラルスピードで理解する。徐々に難易度をあげていく、という方法は、國弘先生も述べているように、おそらく大人が英語を学習するときのほぼ唯一の方法である。次に多読をあげている。一週間に最低一冊は読むことを薦めている。ようするに音読と多読なのだ。

そのあと、正しい読解のための12のヒントをあげているので、それを説明していこう。日本人が分かりにくいところを説明しているところがこの12のヒントの素晴らしいところだ。

1:辞書を気軽に使う。
これは前回も述べた。そろそろ辞書をそろえよう。

2:文脈・前後関係に気をつけよう
これは論理的な流れを理解することである。誰が何を何処でどのようにおこなっているのか、それは何故かといったことに思いをはせるのである。ディスコースを再構成する、ということでもある。

3:一般常識、勘、想像力など。

まあ、これは頑張るしかない

4:描出話法に注意する。
これは小説やノンフィクションを読んでいるとき。誰が話しているのか、に注意する。慣れるとなんでもないけど、訳しながら読んでいると分からなくなる。

5:仮定法への配慮
仮定法は非常に大切である。これに関してはあらためて説明したい。

6:時制を重視する

現在形なのか過去形なのか、現在完了なのか過去完了なのか、これに注意を払わないといけない。論文を読むときもこれは大事。ここが音読をしていてきちんと意識できるようになることが非常に大切である。

7:イディオムに注目
イディオムはどうやって勉強するか。これもあらためて考えたい。

8:自動詞と他動詞、比較級の否定
ここはとても大事。感情をしめす他動詞の時が間違えやすい。他動詞の目的語はなにか、ということである。I was very frightened.It was a very frightening drama.の例が行方さんの本にはあげられている。おどろかせるという他動詞に対して、目的語が自分であれば、何かが自分をおどろかせた、となりそれが受け身になって、I was very frightened.となる。だが主語がドラマで自分がおどろいたのならfrightening (me)となる。amuse(おもしろがらせる), bore(うんざりさせる)でも同じだ。ここはあまり英語が得意でない大学生や大学院生が本当に理解できていないところだ。他動詞なのにあきらかな目的語は省略されることもある。(92ページ〜93ページ)

さて、もう一つ覚えておくと良いのが形容詞の比較級とnever とかnothingとかの否定語が同時に使われている場合。これもしっかりと理解しておくとぐっと楽になる。行方さんが紹介している例を挙げておこう。
I hear she has won the first prize in the speech contest. Nothing shows more clearly that her Englsih is excellent.
これをみて
「何一つとして彼女の英語が素晴らしいと言うことを、もっと明らかに示すものはない」
と訳してはいけないのだ。だがこの間違いが多い。「彼女の英語が素晴らしいことは明確である」と訳せないのだ。それは比較thanが省略されていることが理解できないからだ。スピーチコンテストに一番になったこと以上に、が省略されて文章に見あたらないからである。

この二つに注意するだけで、文章はびっくりするくらいはっきりと理解できる。音読で理解したい最初のポイントだ。

9:文と文の関係に気をつける
これはコンテキストとディスコースの問題で、僕は分けて考えられないと思っている。論文の場合は特にそうだ。いずれにしても文と文は論理的に繋がっている。だがそれを繋ぐ言葉が省略されている。ようするに、わからなくなるのは省略があるからである。自動詞と他動詞の問題も同じだ。この場合は、接続詞がわかりきったときは省略される。こつは一般的なところからどんどん細かくなっていく感じを掴むことである。なぜなら、なぜなら、なぜならと繋がっていく感じがあり、いちいち接続詞が出てきこないのだ。また同じことを違った表現で言い直しているのに、in other wordsが無いときがある。ここは論文や専門書を読むときにも間違えやすい。

10:筆者の姿勢と文の調子
これは僕の言葉で言うとVoiceである。著者は自分が書いていることが、賛成なのか反対なのか、好きなのか気に入らないのか、何を言いたいのか、を常に考えながら読む。これに気をつけるだけで文章の理解はずっと不覚なる。

11:論理的な整合性をおいかける
これはまさにディスコースであるが、もうすこし狭い議論をする、という場合もある。なぜならば、こうこうだから、といった形で論理的に展開しているときはそれをきちんと追いかける。

12:深く読む
ことば一つ一つを吟味するのだ。

何度も繰り返すが、こうしたポイントを身体的に学ぶのがここで練習している音読なのである。来週からは多読を混ぜていくことにしよう。

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修士論文の構成 情報哲学を持とう

written by  Naohito Okude  on  12-07-2009  at  07 am
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修士論文工房もいよいよ追い込み。構成の指示をしたので、次は執筆に当たっての心構え。今回は長くて難しい。読んで、わからないところはワークショップで質問するように。

プロジェクトを行って修士論文を書く場合はかなり注意が必要である。メディカルポケットは、数名で在宅用の新しいディバイスを開発した。このディバイスの構造、インターフェイスデザイン、を研究テーマに選ぶ場合は普通のコンピュータエンジニアリングの論文の形でいい。だが、どのようなインプットを選択するのか、どのようなアウトプットがいいのか、という研究も十分価値がある。そのための質的調査、とくに民族学的調査の価値をしっかりと論文にまとめることが必要である。アーバンメディアプロジェクト、あたらしいテレビプロジェクトなども同じである。関数概念をしっかりと理解すると、このあたりを整理できる。個別の修士論文指導をこれから行うが、学生は下記に目を通して情報哲学を意識して、各自の論文の焦点を明確にして、ドラフトの執筆をすること。

関数概念を確実にする。

f(x)=yというのが基本的な関数だ。このような表現を直接論文に書いてしまっては表現としてあまり美しくない。だが問題の整理としては非常に大事なので、関数概念をしっかりと理解しておこう。xが独立変数。この値をf(function)にいれると従属変数yが出てくる。たったこれだけのことだが、xだからyという乱暴な議論を避けることが出来る。「かくかくしかじかの仕組み」があって、xを入れるとyが生じると考えればいいのである。問題は「かくかくしかじか」の仕組みである。伝統的には演繹法帰納法がある。だが、どちらの方法もどうもしっくりとはこない。とりわけ、実際に調査研究をしていると、「正しいと思うけれど説明できない」ともどかしく感じているだろう。100%正しい推論ができれば正しい、とまあ普通は考える。これを演繹法(deduction)という。真理保存性という難しい言葉を使う。だが、世の中には100%正しいとはいけないけれど、多くのデータから一般化すると大体正しいと言うことがある。このように推論することを帰納法(induction)という。だが、この二つで推論できないことでも正しそうなことは沢山ある。それをどう証明すればいいのだろうか。

基本的には仮説を立てるのである。この仮説が関数となる。仮説は現象を観察していて直観で立てることになる。科学史をみていても、科学者は突然理論を思いつくのだ。このメカニズムを明らかにしたのがC.パースであり、それをアブダクションと呼んだ。さて、そうしてうまくいくかもしれないと直感的におもいついて作った仮説を、論理的に矛盾のないものとして構築する。これは演繹の思考である。次にこうしてつくった論理的な仕組みを実際の現象に当てはめていってそれが有効なことを説明する。ここでは帰納法が使われる。つまり、多くの仮説を思いつき、もっともらしい仮説を選び、実感可能、観察可能な命題を抽出して、それを実験や観察で証明していく。これがアブダクションといわれる思考の流れであり、多くの科学がこの方法で推進されている。だが、この方法は科学だけではなくて、情報の世界にも適応できる。つまり物理的に成立していなくてもいいのだ。

20世紀的発想:サイバネティックスと情報理論を慎重に扱う

このあたりを赤木昭夫氏の『反情報論』にしたがって詳しく説明しよう。まず赤木先生が批判的に指摘している「20世紀的発想」について説明したい。1960年代にIBMは360シリーズを発表する。これを発表することでIBMはヨーロッパのコンピュータメーカを一掃してしまった。360は角度の360度を意味していて、何でも、つまり銀行口座の管理から、物流の管理から行うことが出来たのだ。コンピュータによる情報処理がなければデータは獲得できないとされた。大学にはコンピュータ・サイエンス科が次々と作られていった。IBM360そのものは米空軍のSAGEと呼ばれた早期警戒システムからの転用だという。防空システムのレーダー信号や反撃命令の管理をしていたシステムを民間に転用したのである。

この早期警戒システムは「シー・スリー・アイ」と呼ばれた。Cの三乗Iである。コマンド(指揮)、コントロール(制御)、コミュニケーション(通信)をインテリジェンス(情報)で束ねる、という考え方で作られていた。敵を偵察したり、ミサイル発射を探知するために多くの衛星が打ち上げられ地上レーダー網が整備され巨大な情報収集と通信のシステムが構築された。情報が戦争において勝利を導くカギだとされたのである。そして、ここからが大切なのだが、人間の活動を「通信と制御、状態の変化、計算」という枠に当てはめて考えようとした。(32ページ)

これを支えたのがノーバート・ウィナーのサイバネティクスクロード・シャノンの情報理論である。数学的な問題は僕の授業で演習も含めて詳しく説明しているので、ここでは割愛して、その意味だけを解説する。サイバネティックスは簡単に言うと目的にむかって自分の意思で向かっていく動物の行動と同質の動きを弾丸に与えよう、というものである。弾丸は撃ち出してしまえば、周りの状況に関係なく、ニュートン力学にしたがって飛んでいく。目標からそれていても只飛ぶだけである。これにたいして、目標からずれているということを弾丸に教えて、向きを変えてやることはできないかと考えたのだ。ずれていることを弾丸に教えるプロセスをフィードバックと呼んだ。どのように情報を戻して、どのように弾丸の向きを変えるか、ここを専門とする学問がうまれ、制御学となった。これはニュートン力学ではおもいつかない画期的な考え方だ。一方向にむかって移動している物体の動きを変えることができるわけである。これをサイバネティクスと命名して、研究会も作られた。赤木先生が紹介しているが、アメリカのデパートの老舗のメーシーズがお金を出して「メーシーグループ」が作られて、ウィナーに加えて、文化人類学学者のグレゴリー・ベイトソン、応用数学のフォン・ノイマン情報理論のシャノンなどが加わっていたという。サイバネティクスはいまはそれほど盛んではないが、システムと制御の問題は現在は普通に研究されている。ここで覚えておきたいのは、情報のシステムとして物事を見る。これは関数概念だ。そして、一連の動きを時間の流れに置く。ある時点で本来の目的と異なっている情報を入手したら、現在の動きを決定している過去の情報をアップデートして、未来の行動を決定する情報に置き換える。ということである。これがフィードバックの概念だ。街を歩いているときに次に何処に行けばいいかをいままで歩いてきた経歴をもとに知らせる、というえきれいプロジェクトのアイデアはサイバネティクスの情報の処理の方法で整理しないと、訳が分からなくなる。

さて、もう一つ大切なのはシャノンの情報理論である。あることが起こる確率があるとする。次にAになる確率が80%でBになる確率が20%だったとする。ある時Bが起きたとする。確率が低いことが発生した。するといろいろな活動が制御のために必要になる。したがってBの情報量は大きいとしたのである。これを数学的にきちんとした形にして、二進法つまりイエスとノーで説明できる式にした。これによって目的からずれている程度の情報が手に入ったときに、その確率の逆数をつかって情報量を計算する、という定義式を作ったのである。

赤木先生はただの定義式に「意味を持つと思われがちな情報の量という名前をつけた」ためにこれがメタファーとして一人歩きをしたという。情報理論ではなくて通信理論とするべきだったというわけだ。情報の組み合わせで世界は制御できる。このビジョンが20世紀を支配してしまったという。情報を「伝授・貯蔵・組み替えが可能な記号とそれが表象するパターンによってこれまで説明不可能だった事柄がいかにも説明されそうに思える」と批判する。(39ページ)これを赤木先生は「シンタクティック・インフォメーション」と呼ぶ。人工知能から遺伝子工学までがこの考えを踏襲しており、20世紀の科学の一般的な方法として普及した。

僕個人はサイバネティクスの数理的な成立とそれがコンピュータの置き換えられて実用になるところは非常に高く評価している。だがそれが人工知能や遺伝子工学につかわれると疑問になる。赤木先生はこれを「多重比喩(カタクレシス)」の過ちとして指摘している。これはメタファーを二度重ねることだ。目的にむかって動く物理的な物体を、その物体の現在の情報を獲得して過去の情報を書き換えるフィードバックプロセスを加えることでよりよい確率で目的に向かっていく制御ができる。これは生物の行動をもとに作ったシステムである。このシステムの基本は情報の獲得と整理である。したがって、情報の獲得と整理のプロセスを上手に制御すれば生命が創造できるかもしれないと考えたわけだ。この考え方の奇妙さに20世紀の終わりまで気がつかなかった。これに異をとなえたのが、哲学では現象学者のヒューバート・L. ドレイファスで『世界内存在—『存在と時間』における日常性の解釈学』などで批判を繰り返した。この流れはインタラクションデザインの大きな影響を与えていく。一方生物学では発生論に興味が戻り、進化論をしっかりと議論する動きが出てきている。情報は情報に過ぎないのだ。

物理学は情報理論の影響はそれほど受けていない。リチャード P. ファインマン『ファインマン計算機科学』でチューリングマシンや情報理論について説明しているが、最初に計算機科学は科学といっているが科学ではないけど、面白いし便利だといった趣旨の文章を書いている。生物の化学的な反応を通信回路のメタファーにみたてる生物学と物体の状態のたとえとして情報が使われる物理学。この二つの学問の通底に一般的な情報学を考えることは不可能ではないか、というのが赤木先生の議論だ。

僕が見ている修士論文でサイバネティックス系の情報システムを作っているチームが多い。そこにおける情報活動のシステムの記述をメタファーとしてより大きな社会行動の記述に展開してはいけないのである。人間の行動の情報を獲得して、その情報を分析して新しい情報を作り出す。この仕組みを論じるならそれだけを論じる。次にその情報を複数集めて分布を見て、そこから別の情報を生み出すのなら、そこだけを論じる。そして最初のシステムと次のシステムを連携させてより大きなシステムをつくるなら、それに焦点をあてて、その大きなシステムの入力は何か、出力は何かに注目する。情報の入力と加工と出力をあつかっていることを忘れてはいけない。

21世紀的思考に踏み込む 確率論的な世界観と意味の問題を慎重に扱う

その1:確率論的な世界観

しかし、と思うだろう。そうして出てきたデータに意味を人間は、すくなくとも「実験を行っている我々」は見いだしているではないかと。実はここが非常に大切なのだ。科学哲学のことを考えなくてはこのややこしいところは解けないのである。ある意味、科学哲学からの決別といってもいい。ここからが21世紀的思考のはじまりである。

哲学とは人間が考える方法について考える学問であり、本来はすべての学問を網羅するような性質のものであった。だが20世紀に入って学問分野が多様化した。爆発的に増えていく学問に対応した哲学が必要となっていった。赤木先生はこのあたりをまとめてXの哲学と言っている。Xはそれぞれの学問分野である。分野ごとに哲学の作業が行われる。物理学なり生物学の哲学を論じることになるのだ。その作業はXが何であるかを問いかける「存在論」、なぜXを認識できるのかの「認識論」、善悪の基準を問いかける「倫理学」、そしてその分野の大前提を問いかける「形而上学」がある。さて、情報の問題を考えるに当たってやっかいなのは、情報の構造(記号情報と赤木先生は呼ぶ)を科学哲学が論じてきたことである。

科学哲学は科学とは何かを問いかける哲学である。自然科学とそのほかの科学との違い、および偽科学との区別が大きな役割であった。科学の存在論である。また科学の倫理的な面も議論してきた。一方、科学の認識論、すなわち科学的なものの見方に関してはあまりきちんと議論されてこなかった。記号情報が科学の方法や発想手法としてふさわしいのかどうかの検討がいままで甘かったのである。もっと言うならメタファー以上の価値はなかったのではないか、と赤木先生は問いかける。そもそも情報と科学は関係ないのではないかというわけだ。

実はここが一番大切な点である。コンピュータ「科学」は科学哲学が定める科学ではない。ほとんどのコンピュータ研究者は科学者だと思っているだろう。いや、言い方を変えた方が良い。科学的思考をしているのが大半のコンピュータ研究者だ。だが、これが決定的に間違っている。情報は科学の扱う対象ではない。これが赤木先生の意見だ。では情報とは何か。ここからコンピュータを議論するには科学哲学は情報哲学にバトンを渡さなくてはいけない。情報の存在論、認識論、倫理学、形而上学を考えていく必要があるのだ。

まず存在論から。この分野で著名なルチアーノ・フローリディの説によると、情報とは、還元論、反還元論、非還元論に分けて論じられてきた。還元論はすべてを情報で見ようという、まあコンピュータの専門家の多くがもっている考え方である。シャノンの通信理論ですべて説明する、という感じだ。SFCが開設され、僕は赤木さんと一緒に教えることになるわけだがそのとき初めてコンピュータの専門家と一緒になる。彼らがつかう言葉、たとえばコミュニケーションやデータ、が社会科学や人文科学の意味と全く違うことにおどろくと共に、ある意味同じ意味で使うのもびっくりだった。つまりコミュニケーションとは情報が電気信号で伝達することでありまたそのメカニズムでもある。お互いの心を触れあうとか気持ちを伝えるということとは関係がない。これも驚きだが、次に人文科学的なコミュニケーションという現象も、通信理論的なメカニズムとして見ている。なかなかのショックであった。これに対して、反還元論がある。が情報が何か別の概念に置き換わるだけで、たいした説得力を持つわけではない。で、大切なのは非還元論である。情報は実体として存在していないとするのだ。情報とは周辺と周辺が拮抗するネットワークと考える。つまり情報とは「解釈、力、物語、メッセージ、メディア、対話、構築されるもの、商品」(72ページ)などだとするのだ。

こうなると、情報とはデータに意味を加えたもの、あるいは受け手にとって意味があるように処理されたもの、ということになる。データが中立であって、そこに人間が意味を加えている、という考え方も出来るが、これはデータ万能主義であり、データの中立性を前提としている。つまり非還元論ではこの問題はうまく解けない。赤木先生の言葉を借りると「情報とは意味の生成と受容の一つの特異な形態ではないか」ということになる。

さて、ここからが本番。意味の生成と受容に関してもサイバネティックスの流れは一つの考え方を示している。それがゲームの理論だ。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルが考えたもので、双方の打つ手と対応する利益を表の形で一覧できるようにして、それぞれの利益が最大になるようになるようなゲーム、つまり始めるときに戦略の全貌が決まっているゲームを想定して、それを「完備情報ゲーム」と呼んだ。つぎにプレイヤーが提携すれば最大の利益がでるにもかかわらず提携しないという非協力ゲームの理論J.ナッシュによって提案された。これをナッシュ均衡と呼ぶ。この二つとも人間は合理的な行動をすることを前提としているが、そうでないときにもモデルを成り立たせる試みがなされた。これがJC・ハルサーニによる「不完備情報ゲームの理論」である。これによってゲームの理論の応用可能性が高まった。

「不完備情報ゲームの理論」のポイントは確率をとりいれていることにある。赤木先生の説明を引用する。
「プレイヤーそれぞれが選好と信念の組み合わせ(タイプとか属性ベクトルと呼ぶ)を持ち、そのうちあるタイプをある確率で選び、それをもとに打つ手を選ぶとする。それに対応して相手は自分のタイプをある確率で選び、それをもとに打つ手を選ぶようになる。このようの想定するならば、確率分布に応じて決まる確率分布、つまり条件付き確率分布の連なりとして、双方の利得を定める利得件数を規定することができる。」

これで分かっただろうか。ちょっと難しいが、双方が自分の最適解が出るように戦略を組み他立て、あとは最適解(均衡)を計算する。すべてのプレイヤーのタイプのあらゆる組み合わせを一つの確率分布として記述する。その場合、互いの卓立は相手の確率を条件として決まるので、条件付き確率、つまりベイズ確率になる。それぞれのプレイヤーが確率を持っている。一人のプレイヤーが学習によって情報の中身を更新していく。

このことは何を意味するだろうか。実はある意味「情報の希少性」を意味するのだ。財物の希少性が経済学の基本で、それにひきかえ情報はつかっても価値が減らない、つまり希少性がないとされてきた。しかし、1970年代から始まる情報経済学は不完備情報の経済学であり、情報は従来の経済的な財ではないというとこから議論を展開した。最初は情報は公共財に近く、情報の消費は競争を招かないという視点から研究が始まった。また同じ情報であれば人は繰り返し情報を購入することにならない。したがって市場に出回っている情報は不完全情報である。だから、「評判」が大事になる。こうした仕組みをまとめてJ.E.スティグリッツは次のように述べているという。

「現在では次の事実が認められている。すなわち、情報は不完全であり、情報は高価であり、情報の重大な不均衡が存在し、その不均衡の度合いは企業や個人の行為によって影響される。」

情報には価値がある。これが情報経済学の教えるところである。金融取引でケインズはこのことをうまく説明していると赤木先生はいくつかの例を紹介している。なかでも美人コンテストの例が興味深いという。大切なところなので、ここも引用しておこう。

また比喩を少し変えていえば、玄人筋の行う投資は、投票者が100枚の写真の中からもっとも容姿の美しい六人を選び、その選択が投票者全体の平均的な好みにもっとも近かったものに商品が与えられるという新聞投票に見立てることが出来よう。この場合、各投票者は彼自身がもっとも美しいと思う容貌を選ぶのではなく、他の投票者の好みにもっともよく合うと思う容貌を選択しなければならず、しかも投票者のすべてが問題を同じ視点から眺めているのである。ここで問題なのは、自分の最善の判断に照らして真にもっとも美しい容貌を選ぶことでもなければ、いわんや平均的な意見がもっとも美しいと本当に考える容貌を選ぶことでもないのである。われわれが、平均的な意見はなにが平均的な意見になると期待しているのかを予測することに知恵をしぼる場合、われわれは3次元の領域に達している。さらに4次元、5次元、それ以上の高次元を実践する人もあると私は信じている。

どうだろうか、僕はびっくりした。相場師がお互いに裏をかきながら投機をおこなう。命題が真か偽かではなくて、命題に対する「態度」が意思決定の上で大切になる。情報=命題+命題に対する態度なのだ、と赤木先生はまとめる。

デリバティブなどネットワークをつかった金融取引は情報が枯渇している状態でディラー達がお互いを騙し合う世界と言っていい。情報の不均衡が価格差を生む通貨取引の様な修羅場では情報の中身はみんな知っていることで、その態度だけが問われる。そして、ネットワークを通じて短時間あるいは一瞬で関係者の間で情報が循環する。このばあいは「態度」だけが循環する。

その2 意味とは 科学的実在論からの考え方

さて、コンピュータネットワークに繋がっている人間の「態度」を確率過程で計算する方向の背景について今まで話してきたが、ここですこし視点を変えて、言葉の意味を人はなぜ理解できるのか、という問題についてに赤木先生は議論を進める。
言語の意味を人間は何故理解できるのか。脳科学も手も足も出ない世界だという。そこで意味の生成過程をしらべ、その逆向きが意味の把握過程とする方法が採られている。科学としての説明は出来なくても、かなりのところまで論理的に説明しようとするのが言語哲学である。フリートリヒ・フレーゲバードランド・ラッセル論理的原子論の立場に立った。文の意味は一義的に計算されるとした。ラッセルに学んだウィトゲンシュタインも当初はこの考えにたち『論理哲学論考』1918年に執筆して、「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして論じ得ないことについては、ひとは沈黙せねばならない」と宣言した。だが、その後ウィトゲンシュタインは意味の計算主義に疑問をもち、「言語ゲーム」という考えを持ち始めた。後期ウィトゲンシュタインと呼ばれている。死後『哲学探究』(1953)としてまとめられる。ここでは言葉がつかわれる状況がゲームにたとえられている。ゲームは多様であって、似ていても違うと述べた。赤木先生は以上をふまえて「最終的に、ウィトゲンシュタインは、言葉の意味は、使われかたによって創成され、言葉が使われる状況とゆるく結ばれていると結論した」と述べている。

コンピュータと人間がインタラクションをしているときに、人間のコンテキストによって言葉の意味が変わってくる。この視点は人工知能研究の前提を覆すものであった。テリー ウィノグラード『コンピュータと認知を理解する—人工知能の限界と新しい設計理念』は人工知能研究者の先端研究者が、意味の世界へ大きく舵を切った本である。いま我々が研究しているインタラクションデザインはこの流れをくんでいることははっきりと意識しておく必要がある。

さて、コンテキストのなかで意味が規定される、となると、言葉に対するアプローチが大きく変わることになる。ウィトゲンシュタインはコンテキスト(言語が使われる状況、それを彼はゲームと呼んだ)に注目したが、言葉が発生する行為に注目したのがジョン・サールである。発話という行為がなりたつさまに注目したのだ。これを志向性と呼んでいる。いずれにしても、意味は実際の使用によって生じる、としたのである。文法ではなくて、言語行為によって意味が生じるとしたのだ。この考え方を情報の問題に適応するとどうなるだろうか。

サールは自然科学の立場をとると明言して、この問題にアプローチをする。志向性は人間の生物学的な特性として存在するとするのだ。人は欲求と信念という基本的な志向性を持ち、信念、仮説、欲求、期待、恐れ、知覚、記憶、意図、思考過程が含まれる。科学的実在論で武装しているサールの議論はなかなか面白い。認知科学が科学として緩いところを指摘しているからである。人の脳が外界と関わるときに、赤木先生の言葉を引用すると「生物的因果の形式として、また表象の形式として、まず情報という形式にならざるをえない。」としている。またサール自身は情報について次のように述べている。
「認知科学に親しんでいる読者は、ここで志向性についてかたられていることが、認知科学では「情報」として知られる議論だということに気づくだろう。ここでは「志向性」という言葉を採りたい。なぜなら、一貫して「情報」という言葉は、一方では純粋に観察者から独立した心的意味をもち、他方では心的ではないが観察者が関与する意味をもち、両義的だからである。この両義性は「志向性」にも生じ得る。

と述べている。

脳科学をふまえて、コンピュータと人間のインタラクションを考える。これは非常に大事なアプローチである。ここを研究テーマにする学生は科学的実在論をふまえて議論をたてるように。Wikipediaの科学的実在論のところは参考になる。僕が読むように薦めている、戸田山和久『科学哲学の冒険』はその立場から書かれた科学哲学入門書だ。わたしたち人間の認識活動とは独立して、世界の存在や秩序があり、世界に存在するものや、それを統べる秩序について、私達は正しく知ることができるはずだと考えるのが科学的実在論である。この立場をみとめると、コンピュータと人間のインタラクションは自然科学の対象になる。きちんとした方法論をつかって、先進的な研究をすることがKMDでは可能である。興味のある学生は博士課程で稲見先生の指導を受けることをすすめる。だが、意味の問題を人間の志向性とするだけでは、実は十分ではない。

社会的経験から意味が生み出されていく

ここで議論は初めに戻る。情報の問題を考えるときに、コンピュータを使って情報を処理していくプロセスが生物が何か目的を持って動いているプロセスに似ていたため、実際に生物はそのように動いているのだと思い、コンピュータの中でデータを処理をするとなにか意味が生まれてくるのだと誤解した。サイバネティックスの初期の話だ。これはここ20年ほどで徹底的に批判された。合理的システムが人間の合理的知性を反映しているということから合理的システムを作る合理的な自分の頭の良さによっていた認知科学の初期の研究者たち(って分かりにくい書き方だなあ。ミンスキーとかパパートのことね)の仕事もいまではあまり利用されない。しかし、最初って確率過程だったのではないか?という話だ。シャノンは確率過程の複雑な構造が2進法の指数関数を組み合わせていってほぼ解ける、としたのではないか?この仕組みを生物とか物理現象とか考えないで、情報を処理する仕組みとして考える。かんなとかドリルみたいな道具である。あるいは書棚でもいい。そうするとなかなか便利な道具だ。そして思い切って、科学の外に置く。したがって科学的実在論の範囲ではない。そう考えたときに非常に大きな可能性が生まれる。つまりデータをあつめて、情報を生成するメディアの誕生である。ここでことさら強調しなくてもすでにそのようなサービスは多く存在している。これが何なのかを考える情報哲学が必要、という議論である。

赤木先生はここに情報哲学を置くことを提案している。サールもこの段階では同じことを言っている。生命現象(脳)と心的現象(言語)と社会現象(例えば貨幣制度)を志向性の概念で通底させることが彼の最大の関心事だと、赤木先生は書く。(110ページ)だが、もう一歩進めたい、と赤木先生は思考を進める。サールは志向性の基本を脳が信念と欲求を求めることとした。信念が欲求に負けることもある。つまり誤ったデータが採用され誤った意味が付加される。誰かに騙されたわけではなくても、自分で新たに意味を作り出している。あるいはまったく見たことのないデータの集まりから意味を感じ取っている可能性もある。こうした現象を説明するためにサールは「適合の方向(direction of fit)」と「充足条件(conditions of satisfaction)」という基準を作ったという。これはかなり凄い。

信念と欲求が一致していない場合、人間がどちらを優先させているかが問題になる。信念が優先しているとすると、これが外界に対して一致しているかどうかが問われる。すると、信念を外界に適応させようとする充足条件を求める。自分の信念を修正してくる。ところが欲求を優先させると、外界が欲求と一致するかどうかの検証を初め、合致するように外界を適合させていく。赤木先生は経済活動をとりあげて「自分に有利なように市場を変えようとする。そうなるよな情報をつくり流すことになりやすい。それによって利益を得ようとする。情報独占で市場独占を企図することになりやすい。」つまり、仲間を出し抜き、群衆の裏をかくのが経済市場で活動する人間であり、社会の倫理基準を超えれば、逮捕されることになる。欲求の志向性は外界を変えようとする

さて、ここまで整理してみよう。情報の処理の方法で、時間軸の中を移動している(人間が1時間ネットワークに繋がったコンピュータとインタラクションをしている。同じような人が沢山いて、データを入力したり出力されたデータをみて、それに意味を感じて何らかの活動をして、またデータを入力するということをしていれば、人間もコンピュータも一定方向の時間の流れの中に生きていることになる。)ばあい、システムと外部を人間がインターフェイスしている。ちょっとめんどくさいので流れを説明しながら話をする。
ステップ1 ネットワークにデータ(命題)が蓄積されている。
ステップ2 そのデータ(命題)が利用者に送られる。
ステップ2 その利用者はそれに意味を感じて行動する。(命題+志向性)
ステップ3 行動した結果がネットワークに送られ蓄積される。
ステップ4 そのデータが処理される。命題+志向性があたらしい命題に変換される
ステップ5 利用者に送られ、利用者はそれに意味を感じて行動する。(新しい命題+志向性)

という感じだ。この流れにおいて、命題+志向性が新しい命題に変換されるにあたり、前もってきまった規則があるわけではない。変換の規則をアルゴリズムというが、前もって決まっているわけではなくて、たまたまそうするのが最適と判断されただけである。ここが非常に大切なのだ。何も情報のないところから探索がはじまる

ここまで辛抱強く読んでくれたら、ネットワークにつながっている多数の人間(利用者)が自分でデータをコンピュータに入力して、それを集積してなんらかの処理をして利用者に戻すという、GoogleやAmazonのサービスが実はとてつもない情報生成メディアだということがなんとなく分かってくれただろうか。最初は金融市場のコンピュータ化だろう。いやそのまえに核ミサイルを巡る情報戦がその原型か。そこにあるのは科学的合理的志向ではなくて、欲望とイデオロギーがうごめく社会だ。このあたりはデビッド・ワインバーガーの『インターネットはいかに知の秩序を変えるか』に詳しい。だが、この無秩序のデータの蓄積からなるネットワークに、ひとたび人間が関わると、人間はただのデータに意味を感じて、それをネットワークに戻す。するとその情報がまたデータになって、別の人間に渡され、そこでまた意味を人間が感じてといったことの繰り返しになる。データしかないところで模索がはじまる。複数の人間の志向性が入り交じってネットワークを形成していくわけだが、サールは志向性を成り立たせる充足条件がネットワークできまってくるとして、それを「バックグラウンド」と呼んだ。これを赤木先生のまとめを引用するとそれは「人間の外界に対処する方法、態度、能力の総体」である。

さて、赤木先生の『反情報論』はここで終わる。最後に情報基礎論の構想が説明される。そもそも情報は命題+志向性なのだから曖昧で個人的で混乱している。情報を合理的な命題としようとする企ては失敗し、合理的な命題を自然現象と組み合わせる科学とは袂を分かった。だが、情報は社会を行き交う。真であろうとなかろうと、人々は命題を見ると、自分のコンテキストあるいはバックグラウンドに照らし合わせて、脳の志向性にしたがって、意味を感じている。だが、命題に志向性があわさった非常に主観的な情報がある程度あつまってくると、パターンが生まれてくるのだ。これは前もってアルゴリズムで生成するというものではなくて、フィードバックを繰り返しながら時間をかけていくとある種のパターンが生まれてくる。赤木先生は科学技術や科学理論の解説者としてNHKで長年活躍してからSFCの創設に参加されたのだが、英文科の出身である。T・S・エリオットの詩をあげている。これがまさにどんぴしゃり。(あたりまえか、それで引用しているのだから)
Where is the Life we have lost in living?
Where is the wisdom we have lost in knowledge?
Where is the knowledge we hve lost in information?

(T.S. Elliot, The Rock, 1934)

だが、このアンチモダニズムの表現の背後に別の世界が広がる。毎日忙しく日々をおくるなかで経験によって身に付けた知恵を知識として整理して誰にでも使えるように提供したところ、各自が勝手にそれを使ってしまい、知識を生活のために活用するきちんとした知恵を持っている人が少なくなり、良き社会が無くなってしまった、というのがエリオットの嘆きなら、勝手に知識をつかい(自分で意味をつくり)活動しているうちにネットワークの中に新しい社会とそこでの生活と、添えを支える英知と知識がそろってきた、というデジタルユートピアがいってみればgoogleの考える世界だ。

だが、もうすこし未来は明るい。情報はコンピュータの中にある。知識もコンピュータの中にある。知恵あるいはスキルはコンピュータと人間の間にある。活動(living)は人間の側にある。生活もそうだ。バックグラウンド、コンテクスト、言語ゲームの世界だ。だが情報は人間の志向性と知識(あるいは命題)が合わさったものだ。意味を感じる人間が生活をしてそのバックグラウンドの一部をコンピュータの中に戻すスキルを持っている、という世界は僕からすると、単一のシステムによって支配されている世界とは随分ちがった感じがある。それは各個人が主観的に行動していてもそれを含み込むようなシステムがある世界だ。そのようなシステムを人間は意識して作ることは出来ない。個々人が答えのない状況で試行錯誤している経験が蓄積されてこうしたシステムの構築が行われる。

この仕組みは情報処理を行うためのフィードバックと基本的には同じ原理だ。何回かフィードバックをしているうちにパターンが生まれてくるのだ。そしてパターンのある情報はより意味があり、また外界にもフィットしている。こういった新しいメディアをつくるためにも情報哲学の構築がいま必要なのである。

アーバンメディアチームで、移動体を持って街を歩いているうちに、みなが街をより楽しく楽しめるようになる、というサービスを開発したチームは、街を楽しみたいという欲求が実際の外界である街をかえるというサービスを構築していることになる。実際に街を変えるわけにはいかないので、端末にデータを提示して、街を楽しみたいという要求がある人はそれを見て意味を感じる。というサービスだ。街を歩くということと、端末に提示されているデータに意味を感じているというユーザーの調査がシステムの設計には必要である。この調査を担当したメンバーはこの問題に焦点をあてて論文を書くこと。移動するという人間の活動からパターンを生成して、町歩きサービスを生成するときのデータとする仕組みを開発したメンバーは移動のアナログセンサーデータをフーリエ変換してパターン生成システムに入力するところまでに焦点を絞って論文を書く。またフーリエ変換されたデータをベイズネットワーク処理をしてパターンを生成させるアルゴリズムを作成したメンバーはそこに焦点をあてた論文を書くこと。利用者の行動パターンとそのほかの知識情報をあわせて、集合知を生み出すサービスを開発したメンバーはそこに焦点をあてた論文を書くこと。そして、そのデータをユーザーに伝達するアプリケーションを開発したメンバーは、まだ一年生なので、論文は書かなくて良い。このテーマで学会論文でも書くと良い。アプリケーションを使うユーザーと街を歩くユーザーの間の関係、つまりは街を楽しみたいという志向性をもったユーザーが街を変える(街に関する新しい情報が端末に提示されたときに意味を感じる)に関しては、ユーザーの調査をおこなったメンバーが論文にすること。ここが注意点だ。

メディカルのチームも同じだが、開発した端末をつかうユーザーとして2種類設定している。患者と医師、医療従事者側である。データに対する志向性がことなるので、それぞれ別の論文としてまとめること。端末はそれ自体に焦点を当てて、何がコンセプトか、何を証明するのかを明確にすること。サーバー側のサービスに関しては、アルゴリズムと言うよりはいままで活用できなかったデータがつかえるようになって、多様な人が意味を感じるという仕組みに焦点を当てる。

焦点をあてて、議論をしぼっていくわけだが、そのためにこのくらい長くて複雑な知的作業が必要だ、ということが分かればこの段階では良い。このあとは博士論文の世界だ。

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修士論文の構成

written by  Naohito Okude  on  12-05-2009  at  09 am
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修士論文の執筆もいよいよ後半戦。毎週修士論文工房をおこなっているが、そろそろ終了に向かっていく作業を始めよう。
僕のところで修士論文を書いている学生の多くはコラボレーションでいままで研究を行ってきた。プロジェクトのメンバーとして活動してきた状態から、個人の作品として修士論文を書くことになって混乱している。都市メディアのチーム、医療システムのチーム、新しいメディア開発のチームなどがあるが、すべてにおいて、共通する特徴がある。それは、人間と携帯端末とそれが繋がるネットワーク、そしてその先のデータの世界のインタラクションという非常に複雑な現象を扱っているというところだ。クラウドコンピューティングとWebサービスの登場によってこうした複雑なシステムを学生プロジェクトでも作ることができるようになったのだ。そしてなかなか面白い結果を出しているが、これを論文の形で説明することは非常に難しい。また全体に自分が関わっているわけではないので、自分の貢献あるいは自分が責任をとって論じることが出来るテーマの設定が難しい。そろそろ修士論文執筆も後半戦に入ってきた。ここで論文を構成する方法を教えておこう。

第一章
イントロダクションである。ここが一番大切だ。まず、この論文で達成したいこと、この論文を書いた意味を主張する。そのためには「僕は・私はこの論文で###を作りました」という文章を書く。一般論ではいけない。これに5WIHの質問をする。ここが甘いと論文が進まない。
自分は何をしたか:What
端末をつくったのか、サーバーのシステムを作ったのか、インターフェイスを作ったのか、入力・出力する情報の種類を決定したのか、自分が一番一生懸命やった、あるいは論文としてしっかりと書けそうなところを明確にする。これがコンセプトであり、プロトタイプであり、仮説である。
何処でいつ行ったか:Where,When
何故これを行ったのか:Why
この研究をしたのは、###です、といった感じで書く。社会的な視点と個人的な動機があるはずだ。

誰が使うのか:who
誰が使う仕組みなのか、ユーザーを明確に記述する。

どのように:how
実際には論文はここがすべて。
どのように作るのか
どのように使うのか
どのように証明するのか

この問題に丁寧に答えて、それをもとに第一章を書く。古典的エッセイの様式である5パラグラフで書ければいいが。

第2章 関連研究のレビュー
論文はオリジナリティが無くてはいけない。このことを勘違いしている学生が多い。自分のオリジナリティを細かく説明しようとするのだ。だがオリジナリティという言葉は、その背景を説明しなくてはいけない。自分のWhatに関連する研究論文をいくつかそろえてまとめる。まとめも批判してはいけない。この論文はこのようなことを言っている、この論文はこのように証明している、といった感じで説明をする。そして、自分の研究するテーマを巡って、どのような研究が行われているのかを概観し、領域を特定する。そして、その領域で、誰も行っていない分野を明確にして、自分の研究はここに位置すると述べる。修士論文では関連するる学会論文を使うレベルでいい。単行本はWhyの説明に使うくらいで、修士レベルではここで使ってはいけない。

第3章 コンセプト・仮説の説明

自分の研究を関数概念で意識して、「関数」をプロトタイプコンセプト、あるいは仮説として説明する。関数でもいいのだが、まあこれは補助線だ。どのようなインプットをいれると、どのようなアウトプットが出てくるか。それを説明して、その仕組みを説明する。ここで難しいのは、数理モデルや、実際のプロトタイプを作った学生はそれを示せばいいが、インプットやアウトプットをなににするかの調査を行った学生がプロトタイプやモデルを自分の研究の関数として言及してしまうが、それは良くない。フィールドに行って経験を拡大して、そこからの直観でプロトタイプなどを思いつくわけであるが、どのようなデータをとって、どのような情報としてわたすと人は喜ぶかあるいは感謝するかは情報システムの中にある話ではない。人間側にある。この場合、生理学的に議論すれば科学になる。ここは実験法などを明示して科学的に証明しなくてはならない。そうではなくて解釈学的に議論することも出来る。この場合は質的調査の方法論を採用しなくてはいけない。また僕は好まないが、大量のデータを集めて統計的な処理をする方法もある。このよな量的調査を採用するならその方法を明示する必要がある。この証明をこの章でする必要はないが明言する必要がある。

第4章 コンセプトの構築

数理モデル、サーバーの設計、デバイスの設計などはここで詳細にどのように作ったかを説明する。またインプットとアウトプットの関係を解釈学的に証明しようとしている場合も、ここをブラックボックスとしないで仕組みを説明すると共に、フィールド調査のまとめを適切に説明する。

第5章 コンセプトの証明

作ったモデルやプロトタイプ、あるいは入力と出力の組み合わせの妥当性などを証明する。論理モデルだけをあつかっていれば、仮説演繹法で十分だろう。人間に関係するところを扱うのであれば、生物としての人間であれば科学的な方法論で検証する。社会的文化的存在としての人間であれば民族誌的手法を活用する。この分野は佐藤 郁哉氏が第一人者で彼の著書である『質的データ分析法—原理・方法・実践』などを参考にして、自分の論文のコンセプト・プロトタイプ・仮説(同じもの)を証明する。

第6章 今後の展望

引用

文献リスト

となる。次回の修士論文工房は各自内容はともかく、この構成のドラフトを持ってきてもらいたい。

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大人の英語講座 KMD流 Lesson3

written by  Naohito Okude  on  11-29-2009  at  12 pm
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11月29日

確認

繰り返し書きますが、TOEFLなりTOEICなりの試験を何も準備をしないで出来るだけ早く受けて下さい。

あと、恥ずかしいだろうけど手鏡メトロノーム。隠し技用です。

今週からはひたすらちょっと退屈な音読を続けることになる。

課題確認
『英語耳ボイトレ』

Lesson1からLesson7までを繰り返す。半分ずつやれば、2日で1回なので、一週間に7回。最低50回できれば100回と松澤さんはこの本で言っています。今までで5回やったと考えて、これから週に3回出来るとする。すると、50回にはあと15週。4ヶ月弱。来年の3月終わりくらいまでに達成を目指してもらいたい。

ここからはレッスンを数えるだけだ。一日20分弱である。筋肉を作る練習なので、気長に、出来なければ無理をしないで、しかし出来るだけ毎日行う。20分なので朝起きたときとか上手に時間を作って習慣にしてもらいたい。

『マーフィーの法則de英語耳』

さて、音読のレッスンをすると、読んだり書いたりしゃべったりしなくて良いのかと不安になる。だがこの4つは別々の能力ではなく、ひとつの能力の4つの側面なのだ。ここが日本語と違うところだ。英語というか西洋語は音をアルファベットに転写するという構造で成り立っている。さらに、そのアルファベットと音の組み合わせに特別な価値をあたえたのが近代であり、活字技術なのだ。日本語の世界とは大きく違う。なので、読むにも書くにも聴くにも発音できるということが何よりも大事になるのだ。ここは言語の特質の違いなのでどうしようもない。音が身について、その背後の意味が文法と共に身体で分かる。ここがとにかく西洋語の理解ではとても大事なのだ。

少しずつでいい。毎日続けていこう。

読む能力をつけるための音読

この講座は音の訓練から始めているが、だからといって会話を中心にというわけではない。実はあんまり英会話のことは考えていない。むしろ反英会話論でもあるのだ。いまの新しい英語教育の流れが読むことをおろそかにしているのは第二言語として英語を学ぶ我々普通の日本人としてはあまり好ましい現象ではない。この英語講座で発音から始めているのも会話を流暢に行うためではない。この講座の目的はしっかりと英語が読めること、それにつきる。実は明治期からの訳読中心の日本の英語教育の水準には大変なものがある。この伝統に音読を結びつけたいというのが今回の英語講座の狙いである。

この英語講座は誰が読んでも出来るように行っていくが、想定しているメインの読者は大学院で本格的な研究をしようと思っている大学院生である。(博士課程で僕の博士論文指導を受けていて、日本語が母語の学生はぜひともこの講座を続けるように。博士論文指導は原則英語だからね。論文は日本語で書いても良いけど)さて、研究を続けるためには論文を読み、研究書を理解する英語力が不可欠である。だが、TOEFLやTOEICで高い点をとっている学生でも、理解という点ではどうもピントがずれている。また多くの学術本や歴史書の翻訳もピンぼけが多い。つまり、一読してなんだか分からないのだ。一方、英文学の世界では名訳が多い。勿論仏文学やロシア文学でも同様で、文学は言語表現の王道だから、それを専門に勉強している日本の文学翻訳者の、とくに古い大学で教えながら翻訳を行っている最近の文学翻訳者の翻訳のレベルは非常に高い。昔の翻訳は怪しいのが多いと言われるが、最近ではどんどん新訳が出てきている。この伝統を活用しない手はない。

僕は中学高校時代に朱牟田夏雄さんの訳したロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』、フィールディングの『トム・ジョウンズ』に親しんでいた。とにかく読んで痛快な面白い小説だから。そのお弟子さんであり、サマセット・モームやヘンリー・ジェイムスの小説の翻訳で知られる行方昭夫さんの本はここ数年、非常に愛読だけではなく、愛用している。Critical Readingという手法を翻訳法という形であるが、日本語で詳細に説明している希有の本だからだ。Critical Readingはまあ言ってみれば日本の高校でならう『現代国語』のようなものである。小説、詩、にはじまり歴史、科学、哲学、さらにはエッセイ、新聞、雑誌といった分野の文章すべてを「Critical」に読んでいく方法を学ぶ科目である。普通に高校の授業である。

ここで言う「Critical」という手法についてちょっと説明しておこう。これは博士論文指導でもこれから繰り返し説明する方法なのだが非常に大切である。Criticalといっても、書いてあることの間違いを指摘する読み方ではない。その逆で、著者の言いたいことを分析的な視点から再構成していく方法である。テキストを前にして、分析的に読んでいく方法なのだ。では分析的とは何か。それは文章の骨組みを明らかにすることである。この骨組みをディスコースと言う。この骨組みを探せば、それは著者が言いたいことであるし、読者が読み取るべきことである。骨組みに分かりやすく例が提示してある。この二つをどのように上手に構成するかがアリストテレスの修辞学のすべてなのだが、この問題はまたあらためて論じる。

ではその骨組みとは何か?それはテキストが語りかけてくる。もちろんじっとにらんでいて語りかけてくるわけではない。文章をまえにして質問をする。これをQuestioningという。Why, Who, What, Where, When, そしてHowを質問すればいいのだ。なかでもWhy,Who,Howが大切である。What、WhereとWhenは簡単に分かる。次に注目することはディスコースの質である。フィクションとノンフィクションに分かれる。だが、少し前にニュージャーナリズムが登場してこの区分を取り払ったとも言える。(僕はこの辺りを『アメリカンポップエステティックス』で書いたことがある)主観的な解釈の集積が大事だとする考え方だ。するとフィクションとノンフィクションの区別は見えなくなる。いずれにしても、ディスコースの質はVoiceを感じながら探っていく。これも後で説明する。次に誰に向けて書かれた文章なのかを考える。さらに著者がこの文章を書いた理由を探り、読み手としてそれを理解するにはどうすればいいかを考える。わからなければ、質問を読んでいる文章にぶつける。

これがCritical Readingの方法である。行方さんはこれを日本人が英語を読むときの方法として提案している。これからそれを手短に紹介したい。行方昭夫『英文の読み方』と『英語のセンスを磨く』を参考にしている。興味のある人はこの二冊を参考に、と言いたいところだが、この二冊は強烈に難しい本である。易しそうなタイトルだけどね。まあ買って書棚においておいて、TOEFL600点くらいになったときに読むと、目から鱗的な効果があると思う。手が出ない理由は使っている英文の水準が高いからである。今回このBlogを書くにあたり、再読してみたが、まだまだ勉強することがあるなと思わされた。でもこのくらいのレベルの英語は書けなくても(もともとむりか)読めるようにはなっておきたい。

行方さんは何冊も英語学習の秘訣の素晴らしい本をだしている。凡百の本と違って、本格的に英文を理解するという問題に挑戦している。だが、ここまで到達するのは簡単ではない。ところが、『マーフィの法則』を音読してプロソディを掴むと、彼が提案する英語の読み方をほとんど身に付けることが出来る。勿論、すぐにというわけではなくて、2年くらいかかるだろうし、達意になるには10年はかかる。だが、音読をとおして学んでいくと、その効果は絶大である。以下、行方さんの方法をまとめておく。なんで100回も繰り返すんだ!!と疑問に思わないようにという気持ちでまとめたので、ぜひ読んでもらいたい。

Step1 多読する

また「多読」かと思うかもしれない。だが文章を100%理解するということと多読を組み合わせるのだ。英語を理解するときには100%理解を目指さなくてはならない。読んで分からないときは、その文章が自分にとって難しすぎるのでレベルを下げる。これを思い切って実践する。例えば、慶應大学の環境情報学部や総合政策学部の英語の試験を見たことがあるだろうか。教員は試験監督をするのでそのあいだ暇で、僕は最近まで、ついでに問題を解いてみていた。過去数年は大変な名問題で、これが出来る学生が来るのかと思うとわくわくする。だが、入学した学生をみると、実のところ大して英語が出来ない。「え、あの問題をうけて、選抜されたのに」と思う。実は東京大学でも同じだと行方さんは別の本で書いていた。ほぼ100%理解しないと理解したとは言えないのに、採点するとそうでなくても(というか詳細は書けないけど、100%どころではないくらいでも)入ることが出来る。文章を理解するときに「半分」というのはあるのだろうか?と行方さんは言う。ありえない。しかし、100%出来たか出来ないかで試験問題を作ると、選抜には使えない。学生の点が分布してくれないからだ。で、難しい問題を出す。

なので、大人でも楽しめる易しい英語を、読んで100%わかる英文を読む、という贅沢は大学入試がおわっている大人にのみ許された贅沢である。それに感謝して、簡単なテキストを丁寧に最初から最後までを読み切る。頭から読んで言っていることが分かることが大切である。実は『マーフィーの法則で英語耳』はこの方法である。2行の英語を読んで100%分かるか、がポイントである。日本人は文字と音が繋がっていないので、目で読むと分からなくなる。なので声に出して読む。『マーフィーの法則』ではここの練習がキーになる。論理的な文章の流れを掴むわけだが、じつはそれは音の中にくみこまれているのだ。これをプロソディというとは前に話した。プロソディをまもっていると、突然分かる瞬間が来る。

『マーフィーの法則』をある程度進めたら、graded readersというものを使う。これは単語数を限定して易しく書いたテキストである。いろいろなところから出ているが、英文学者としての行方さんの意見は「どちらかといえばイギリスの出版社の方が得意としているのは、昔からインドなどの植民地で英語教育の必要があったからでしょう」ということである。イギリスの植民地行政と英語教育の問題は根が深くて、イギリスが21世紀での生き残りをかけて、英語の多様性を認めてきているのも、植民地体制からの離脱を宣言していて、興味深い。このあたりは、いつか書くことがあると思う。英語を学んでいくときの根本的な哲学の問題だからだ。

さて、易しい文章で単語数の少ないものを、先を焦らず、同じレベルのものを数冊読む。これを丹念に繰り返す。多読の導入はいずれここで行うが、まあこんな方法があると理解しておいてもらえればいい。

Step 2 正確に読む
吟味する 文法を音で理解する

多読と吟味は同時に行う。『マーフィーの法則』を何度も声に出して読むのは実は吟味、すなわち精読である。英語をやり直すためにはこの段階がおわってから多読だが、文章を聴くときに、使われている時制が現在なのか、過去なのか、現在完了なのか、過去完了なのか、ここに注目する必要がある。それも音で理解する。そうしているうちに、著者が伝えたい理屈が分かるようになる。大人になって英語を本格的に学ぶためには、ここを超えないといけない。

辞書を用意する
多読の時は辞書を使わないが、吟味するときは使う。必要な辞書は下記である。びっくりするのは種類と品質の高さ。行方さんもどれを選んでもいい、といっているくらいだ。

学習辞典

まず準備してもらいたいのは学習辞典である。5万前後の語数だ。

学研『スーパーアンカー英和辞典』
三省堂『グランドセンチュリー英和辞典』
小学館『ユース・プログレッシブ英和辞典』
三省堂『ヴィスタ英和辞典』
研究社『ライトハウス英和辞典』

最新版ならどれでもいい。

中辞典

一般用辞典で10万語前後の語数である。

学研『アンカーコズミカ英和中辞典』
小学館『プログレッシブ英和中辞典』
三省堂『新グローバル英和辞典』
三省堂『ウィズダム英和辞典』
研究社『新英和中辞典』
研究社『ルミナス英和辞典』

大辞典

持っていなくて良いがこんな辞典が背後にはひかえているのだということで

研究社『新英和大辞典』
小学館『ランダムハウス英和大辞典』
大修館『ジーニアス英和大辞典』

あと手元に置いておくべき辞書として

Oxford Adnanced Learner’s Dictionary

この辞書は手放せない。これほどではないが

Collin Cobuild Advanced Learner’s Dictionary

もあった方が良い。これはコンピュータに言葉を蓄積して分析して作った辞書である。

英語の癖を理解する。

英語では、これはとても大事だ、というかわりに、これは大事である。なぜなら理由1,理由2、理由3と続けたり、Aは素敵だ。それはAがこうで、Aがこうで、Aがこうだからだ、といわないでA、すなわちB、すなわちCと同じ言葉を使わないで言い換えていく。この二つの習慣につきあっていては日本人は理解できなくなる。論理的な枠組みをとらえることがその意味でも大事になる。

さて、ここまでが足慣らしというか口慣らしというか耳慣らしである。ポイントは英語の文章を聴いて、その枠組みがわかるかどうか、である。一番の手がかりは、プロソディの中に枠組みが隠れているということだ。第2は英語のくせに振り回されてはいけない。第3は文法を正確に把握する。一読して文章の枠組みをつかみ取ってしまうことが大切なのである。ここを外すと行方さんが言うところの「ピンぼけ訳」になる。

Step3 ディスコースを掴む
行方さんは「筋を読む」といっているが、同じことである。英語にはディスコースがある。これを読み取ることが大事だ。この言い方は実はちょっと正しくない。ディスコースのない英語も書くことは出来る。なので、しかりとした文章にはディスコースがある、ということだ。行方さんも「これは英語(外国語)と言うより国語(日本人なら日本語)の問題だ」と述べている。いずれにしても、日本人が英語を読むとき、ディスコースを再構成しながら読んでいくと正確に早く読める。この作業をCritical Readingという。

接続詞

文章と文章は論理的な関係があり、それは「接続」によって生まれる。接続詞に関して注意する必要がある。だがここで大切なのは接続詞がないのに論理的に繋がっていく文章もあるということだ。ここを見逃してしまうと分からなくなる。いろいろな英語の言語的な特徴を使って接続詞をつかわないで文章をつなげることが非常に多い。これも聴いていると論理関係もプロソディで表現されている。また音が頭に入ってくると、テキストを読んできてもそのあたりは分かってくる。

もうひとつ、なにか意外だったり知らないことを文章に導入すると、かならずその説明がある。ここも大切である。見逃してはいけない。それが決まりなので、「なぜなら」という接続詞が省略される。しかしそこの論理的な関係があることを見落とすと文章が理解できなくなる。

主語
あと注意することは主語の問題である。突然、TheyとかWeが出てくるととまどう。だが、誰も指さない、漠然として人というイメージしかない主語としてthey があり、その一部としてweがある感じがわかりにくくなる点であると行方さんは指摘する。まさにそのとおりで、ディスコースの再構成ですぐに直面する問題だ。これはitにもいえる話である。漠然としたitがあることをしっかりと理解しておかなくてはいけない。またyouも注意が必要だ。一般的な意味を指すこともあるが、特定の視点を示すために使うときがある。読者を物語に誘い込むためだ。Theyとして記述していたものをyouで置き換えると、そこでは視点の移動がある。これは訳さない。we とか youだとくだけすぎていると感じるときはoneをつかう。

本筋と脇筋を区別する

さて、ここでディスコースを構築するとき一番大事なことは「本筋」と「脇筋」の区別である。英語では一つの文だと、主節と従属節として表現される。ここを理解することがディスコース理解の肝である。複雑な構文は実はかなり高度なディスコースを表現しようとした結果である。『マーフィーの法則』ではこのディスコース理解をプロソディで行う。半年ほどじっくりとやると、一気にここが理解できる。ディスコースはおおまかな流れであるが、もう少し細かく検討することも出来る。それは実際の論理的推論を検討することだ。このときのカギは「代名詞」である。

代名詞

代名詞を使った論理の構築は、不定冠詞と定冠詞の切り替えに注目すると分かりやすい。まったく新しいことは不定冠詞をつけて導入される。一度導入されたことは定冠詞をつけて説明される。そしてそれは代名詞で置き換えられる。この流れが論理を構築していくのだ。これが基本であるが、実はこの方法を直接使おうとしても、あまり役に立たない。名詞をしっかりと代名詞でうけて、代名詞を組み合わせて論理を明確に示す。我々が文章を書くときはまずはそうするべきだろう。しかし、実際の英語の文章では省略されたり、横道にそれたりすることが多い。また英語を母語とする人ならいわなくてもわかる、と著者が判断すると省略をする。やっかいなのは他動詞なのに目的を省略するなど頻繁に行われる。要するに言葉を読み手が補わないとディスコースが浮かび上がってこないのだ。これは文法問題とも関係する。

動詞 文法で大事なこと

自動詞他動詞が大切。加えて、他動詞が現在分詞になったものの理解が非常に大切である。また省略や挿入が頻繁に行われていく中で過去完了を知ることが大切になる。仮定をしめす条件節をどう意識するか、何が省略されているか、が大切になる。また自在に挿入される文章をどう理解していくか、これも大切だ。should, wouldなどをどのように理解していくか。倒置構文で説明されることが多い。過去過去完了の関係を意識しないで読んでしまう。文章同士の関係が複雑になり、同じことを違う表現で行うので、読んでいて分からなくなる。また過去のことを話していて、突然、現在形になる。それは歴史的現在である。過去がまるでいまのことのように目の前に浮かび上がる感じだ。

とまあまとめると、接続詞、主語、主節と従属節、代名詞、時制。説明を聞けば納得するが、これらを駆使して英語を読んでいくのは大変だ。ところがディスコースを再構成するときに大切になるこれらの難解な文法的要素がじつはプロソディの中に含みこまれている、ということである。きちんと聴けば論理も意味も分かるのだ。あるいは聴いて論理も意味も分からなくてはいけない。ここを半年ほどじっくり鍛えてみることが大事である。音読によって今説明した文法的なことを身体的経験として理解することが出来る

Step 4 Voiceを掴む

行方さんは「行間を読む」と説明している現象だ。著者が訴えていることを感じる。僕は大学院の学生にCritical Readingを教えるときに次の5つの原則を説明する。
1)Compelling
自分の選んでいるテーマやコンセプトあるいは仮説が自分にとって魅力的かどうか。ここを見つけ出さないと論文や研究書は読めない。行方さんが言う「まず手に取るのは好きで詳しいジャンルから」と同じである。

2) Discourse
文章の筋である。論文や研究書を読んだときに、どうゆう文章だったのかの流れを再構成する。

3)Intelligibility
読んでぱっと分かるかどうか。現象学的に言うと、intelligibility(明証性)に騙されるな、つまり上手に例が整理されていて分かった気になるのは問題だ、というわけである。だが、逆に言えば、intelliilityをもった文章は説得力がある。著者はどのような例をどのように使っているかに注目する。

4)Story
著者は読者に物語を語っている。それはどのような物語なのか。これは非常に大切である。

5)Voice
著者はどのような思いでどのような感情で文章を綴っているか

である。この方法の詳細は博士論文指導についてのBlogで説明するが、行方さんもVoiceのつかみ方について説明している。Voiceとは文章の書き手に注目する読み方である。いつ何処でどのような気分で文章を書いているか、を理解する必要がある。論文などのまとめを文章で行うとVoiceを感じられない表現になることが多い。そんなときに口で説明してごらんという。すると口で説明を始める。そこで、大体本筋の中の説明の山場になった辺りで「どうしてそうなの」と質問する。すると、「かくかくしかじかです」と答える。で、もう一度「そうなのはどうして」と聞くと大抵、声が大きくなって「それはかくかくだからです」と答える。この最後の答えがVoiceである。同じ内容を語るにも、言い方次第でニュアンスが違ってくる。書き手はどのようなニュアンスでこの文章を書いているのか、それは書き手のVoiceが大きくなっていることを伝えたいと思ってかいているのである。学術論文でVoiceを見つけ出すのは「手強い」と行方さんは述べて、アダム・スミスの『国富論』からの抜粋をしめすが、まあ半端な英語力では歯の立たない文章である。だが、いま学術論文を読む僕らはこの心配はない。1950年くらいから、学術論文があまりにも分かりにくくなったので、アリストテレスの修辞学に習って説得の論理をまえにだす方法が普及してきており、状況は大きく変わっている。このあたりも博士論文指導のテーマだな。ところで、行方さんが紹介しているマリリン・モンローの「My Story」の文章(『英文の読みかた』159ページ)が素敵だ。読んでみよう。

『マーフィーの法則』を音読するとステップ1から4までまんべんなく学ぶことが出来る。『英語耳ボイトレ』がワンセット20分弱。『マーフィーの法則』が全部50回ずつ繰り返すと60時間。一日30分で120日。来年の3月末まででどうにか終わる感じである。一日一時間の英語レッスンを自習で出来るような能力が付けば、あとは時間が解決する問題である。

今週はここまで。第3週に入った。音読は何をどのくらい行ったかきちんと記録をつけていこう。またこれから始める人は焦らず口の筋肉を鍛えることを意識して行っていこう。

今回はここまで。

英語レッスン2 特別ワークショップ 手鏡とメトロノームを使ってアーティキュレーションを改善する

口が回らなくて『マーフィーの法則』プロソディの練習にはいれない人がいる。そのための工夫を少し紹介したい。

いままで何回かワークショップを行った経験からだが、英語が出来なくても(つまり読んで意味が分からなくても)発音が上手な学生がいる。カラオケなどで、英語の歌を実に上手に歌う人がいる。でも英語が分かっていなかったりする。耳が良いといわれる。一方でいわゆる口が重い学生も多い。実は英語の発音するスピードは凄く速くて、それに筋肉がついていけないのがその原因だ。これは専門用語ではアーティキュレーション(articulation)という。明瞭に発声することといった意味だが、日本語では滑舌がいい、つまり舌が滑らにまわる、という。『マーフィーの法則』でプロソディを身に付けるレッスンがおっくうに感じたら、ちょっとそのまえにアーティクレーションを良くする予備練習をしよう。

余談だが、美空ひばりのジャズを聴いたことがあるだろうか。彼女の英語のアーティキュレーションは絶品。天才的な音楽の才能故だろう。下記、YouTubeのサイト

美空ひばり Lover Come Back to Me

話戻って、まず最初のマーフィーの法則、そして続く例文の1から5までをワープロに打ち込もう。12ポイントくらいの大きさが良い。行間を空けてプリントアウトする。そして、これも面倒だが、発音記号を下に書き込む。そして『ボイトレ』の発音バイブルをつかって、一つずつ発音記号に従って発音する。最初はぎこちなくて良い。つぎに、区切りのあるところ(CDをききながら)の印をつけて、そこまでを発音記号をみて発音する。ゆっくりでよい。

ポイントは口の周りの筋肉にある。発音記号にしたがって、声を前に出して練習する。また手鏡を前に口が動いているかを確認しながら行うといい。最初は恥ずかしいがすぐに慣れる。また語尾の子音、とくにs音、z音をしっかりと出す。語尾を飲み込まないようにする。ゆっくりと繰り返して口が動きをおぼえてきたら(2日から3日かかるかもしれない。沢山やるより時間をおいて繰り返すことが大事。筋肉に学習させる時間を与える)、今度はメトロノームをつかって拍にあわせる。メトロノームはデジタルのものが安くインターネット通販で手に入る。でテンポを40にあわせてやってみよう。かなりゆっくりだが、場所によっては早く発音しないとテンポに追いつけないことが分かるだろう。これは『ボイトレ』の歌のところで実感しているところだと思う。このスピード感がつかめないとプロソディの練習は難しい。

また基本はナチュラルスピードである。スピードもコミュニケーションの一部なのであんまりゆっくりだと訳が分からなくなる。なので、一番始めからナチュラルスピードで勉強する。しかし、速く聞こえるものは初めのうちはしょうがないので、この方法ですこし頑張る。で口が慣れてきたら、おわりまでCDをつかわずに音読してみよう。そのうち、口の周りの筋肉が出来てくる。そしたらナチュラルスピードにする。つまりCDにあわせてプロソディ練習に入る。

というわけで、口が重い人は今週はCDに合わせないでやってみよう。

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大人の英語講座 KMD流 Lesson2

written by  Naohito Okude  on  11-22-2009  at  09 am
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レッスン2

まだTOEFLあるいはTOEICを受けていない人は今週かならず申し込みをして、出来るだけ早い段階で受けること。繰り返しますが、準備はしないこと。点を上げることではなくて、いまの実力を数字で把握しておくことが目的です。

課題1 ボイトレ

後半
Lessen 5
Exersise 4
これは歌です。慣れると面白いと思いますが、ビートの単語や音節が乗っている感じを覚えます。ここが英語が聞き取れるようになるかのキーです。うまくできなくてもかまわないので、毎日繰り返します。拍ごとに単語が入っているページがあり、つかってみたが、とても便利。

第3部
子音のLとRの使い分けです。日本人が苦手とされる音ですが、松澤さんはこの区別に関してはそれほど神経質にならなくても困らない、と述べています。ただし、舌の筋肉の訓練として、lとrの音に気をつけながら子音と母音の繋がりを勉強するには良い機会なので、以下のレッスンとなります。

Lesson 6
Exercise 7, Exercise 8は歌になっていて、拍に会わせて練習します。ビートをとらえられるかがカギと松澤さんが書いています。

第4部 「ァ系母音」の発音を極める
これは難しい。頑張って練習する。顎がが3次元空間を動く感じ、ってかえってわからないか。で最後は、やはりビートを感じて歌。

これを繰り返す。一日1回やってみよう。
課題2 マーフィーの法則
プロソディを獲得するための練習。
第1週はここまで手が回らなかったかもしれないので、今週も一日5回、音に合わせて文章をみながら、繰り返そう。意味はまだ考えなくて良い。音の固まりをまねする。

上記のレッスンを今週も地道に繰り返しましょう。焦らず淡々と続けて下さい。出来なくて良いのです。

久し振りに國弘先生の本を読んでみた。何度も何種類も読んでいるのだが、今回は『國弘正雄の英語の学び方』を選んだ。いつも勇気つけられる。第一回のレッスンでも話したが、彼の主張は道元が唱えた座禅の只管打坐から「只管朗読」である。ただひたすら簡単な英文を読む。基本は楽器演奏やスポーツと同じで身体にたたき込まなくてはいけないというものです。また日本の学校英語の尊重もポイントです。日本人にとって英語は意外に難物です。ヨーロッパの言葉だけではなく、中国語ともどこか根本的に相容れないところがある。その違いをいかに乗り越えるかを明治から考え続けてきた英語の達人たちがのこした日本人の英語学習法の伝統を捨ててはいけないとも主張しています。英語で書かれた英語の教科書をいくつか使ってみたことがありますが、どこか、しっくりこない。この話は追々説明していきます。

中学校の教科書を読め、という國弘先生の主張はもっともですが、大人になって中学、高校の教科書をやるのはなかなか大変。まったく英語をやってない人はここから始めなくてはいけないと思いますが、まあ苦手だけどどうにかこうにか、という大多数にはもう少し内容が欲しい。それが松澤氏の本を使っている理由です。ただし、いまの中学校の英語の教科書は相当良くできている。ひとによってはここから始めた方が良い場合もある。でもまあ大学を出てれば松澤さんの本の方だろうな。この講座は大学院生対象だから。

さて、暫く音読を繰り返していると、英語の音がイメージと繋がってくる。これは英語の歌を歌うことが圧倒的な近道なのですが、それは好きずきですね。歌はいや、という人もいるから。

で、音読のポイントは単語をつなげて読むことにあります。区切りのグループです。フランス語を勉強した人なら「リエゾン」ってならいましたよね。単語の語尾の子音はフランス語では発音しないけれど、次の単語が母音から始まるときは繋がって、子音も発音する。英語も同じようにします。英語は語尾の子音も発音しますが、次の単語が母音だと、つなげてしまう。これをlinkingと言います。ほかにもつなげていくテクニックはいくつかあり、松澤氏の『英語耳』には詳しく説明と練習方法が出ています。こうしたことを工夫していると、複数の単語の音のかたまりが聞こえてきます。これがプロソディです。とにかく英語の理解はプロソディにつきると言っていい。

文法については、簡単なレベルと難しいレベルがあります。難しいレベルは多読のレッスンを始めるときに説明しますが、簡単な文法はいま学ぶ必要があります。國弘先生は文法の理解はセンスの違いがあるといっています。同感です。運動神経のある人はすぐ出来るようになるし、鈍い人は時間がかかる。音楽でも同じです。センスの悪い人はある程度頭で理解してから身体に身に付ける練習をする必要がある。「自分のレベルに合わせて」「おおまかに」「ひつようなときだけ」と國弘先生は述べます。松澤さんの『マーフィーの法則』の87ページから96ページは普通のセンスの人に十分な感じの簡単なレベルの英文法のまとめになっています。おすすめ。自動詞と他動詞の問題を音で理解できるようになるだけで全然違ってきます。主語があって動詞がある。これを音で理解するために音読を繰り返すのです。

國弘先生は音読を継続させる方法についても述べています。基本的な文章を音読して、基礎を作り、CDやDVDのスクリプト付きのものを購入して繰り返し聞く、ニュースなので最新の英語を聞く、生の英語をきく、などですが、過去何度か英語工房を行った限り、この方法では続かない。それは僕が國弘先生の本で勉強したころは、英語の生の音に触れる機会はすくなく、単調な語学教材しかない、という状態だったので、CDやDVDのスクリプト付きや最新の英語ニュースがいつでも聞くことが出来ると言うだけで、そうとう動機つけされた。でもいまはインターネットなどでそうした情報は手にはいるし、教材も豊富です。なので、基礎を作るところだけに注目すればいい。ところがこの基礎を作るところを勉強する動機付けが難しい。

学び始めると、すぐ目移りするのです。TOEFLの点を上げるためのドリルをやったり、英会話学校に通ったりする。あるいは簡単だとうたっている英語学習法に手を出したりする。また達人になろうとするのも問題です。英語にはセンスがあるので、英語を学びたいと大人が思っている時点で、そもそもセンスがない。英語のセンスがないから中学高校で学び損ねたわけです。慶應大学SFCで教えていて、一度も留学したこともなく、普通の高校にかよっていて、高校1年生とか2年生で英検の一級に受かっている、といった学生に時々会いました。外国語学習に苦労したことがないのです。こうした天性のセンスを持っている人と比べてはいけません。あとバイリンガルの人の英語論、これも関係ない話です。また正しい英語の発音の方法にこだわって、あるいは正しく発音できないことにコンプレックスを持っている人も多い。どうせネイティブみたいに発音できないのだから、という訳です。大人になって英語を学ぶと言うことはネイティブにはならない、ということです。ここをはっきりと理解する必要があります。発音がネイティブになるためではなくて、英語を聞いて理解するために発音を身に付けるのです。聞いて理解できないと読んでも理解できません。一方、大人になって英語を学んだ人がその体験を元に学習法を出している本がありますが、そうしたものはとても勇気つけられます。その種類の本に共通しているのは、音読で基礎を固めている点です。発音を勉強するのは、英語を理解するための唯一の方法であり、それは筋肉の練習に他なりません。時間がかかるのです。

次に陥りやすいのは、内容を重視することです。難しいものを選んでします。この気持ちはよく分かる。しかし、簡単で内容の分かっているテキストで練習をする。これが出来ない。新しい内容に次々と挑戦する。これは多読の時は大切です。ただしこのときも内容の理解に負荷がかからない、ということが大切になります。勿論内容を理解するためにしっかりと読む、ということも大切です。これはcritical readingといって、一つの方法であり、これもまた今教えている段階が終了したら勉強することです。いずれにしてもいまは、易しくて面白いものを繰り返し音読する。

あと、大きな音で録音された教材、ということも大切です。特にある程度発音が出来るようになると、大きな音で話してみることが必要になります。『英語耳ボイトレ』64ページに犬をしかる例がありますが、声を前に出してあのくらいで表現する、そのような表現を感じるというのも早いうちから始めておきたいところです。発声が大事なのです。これは國弘先生も主張していることです。

口の筋肉が出来てくると口や舌の位置などを意識して発音できるようになります。しかしそれまでは無理ですので、発音の方法の本はこの段階ではあまり役に立ちません。良く耳で聞いて音をまねてみる。そのうちに筋肉が出来てきて、口の中を動かすことが出来るようになります。そのようになると、発音記号が非常に役に立ちます。これは少しずつ覚えていきましょう。まったく世界が違ってきます。

このあたりで基礎が出来たら、聞いて書き写すとか、文章を手で書き写すといった身体訓練もいいと、國弘先生は薦めますが、それはもうすこしレッスンが進んでからにしましょう。

今週はまあこんなことを考えながら、ひたすら音読しましょう。少しずつ声の質にも気をつけていきましょう。『マーフィーの法則』の最初のセクションを30回くらい繰り返した段階で次に行きたいと思っています。今週を終了すれば、『マーフィー』は10回、『ボイトレ』は5回終了したことになります。あと、まだこの段階ではきちんと発音が出来なくても良いのです。継続が大切です。

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博士論文プロポーザルの書き方 その1

written by  Naohito Okude  on  11-21-2009  at  07 pm
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KMD博士号取得への道程

先日博士課程の学生をあつめて、博士号への道の説明があった。僕はあいにく三田で会議があって出席しなかったが、すこし流れを整理しておく。一度修士論文のついてのコメントをBlogで説明してるが、内容は同じようなことだ。それを博士号取得までの道のりを意識して説明している。いま博士論文指導をしているので、その流れに合わせて公開していく。

まずはKMDにおける博士号までの流れだ。

ステップ1:指導教授を決める

指導教授をきめないことには研究は始まらない。

ステップ2:研究プロポーザルを書く

博士論文のための研究プロポーザルを書く。研究テーマだけではなく、どのような方法論で行うのか、自分の研究の価値は何かをしっかりと記述する。これも詳しいガイドラインを作った。研究プロポーザルは審査をする教授と博士課程の学生の間の「契約」である。プロポーザルを書き上げた段階で、2名ないし3名の教員で審査委員会を発足させる。

ステップ3:予備口頭試問

書き上げたプロポーザルを認めるかどうかを委員会で審査し、学生に口頭試問を科して合否を決める。合格すると博士論文のための調査を開始する。

ステップ4:研究進捗レビュー

審査委員会は半年に一度研究進捗状況をレビューする。

ステップ5:ドラフト完成と外部メンバーによる審査

博士論文のドラフトを書き上げると、審査委員会はそれを審査し、その後外部メンバーに査読を依頼する。

ステップ6: 博士論文提出

ステップ7: 公開口頭試問

最後に公開の口頭試問を行い、合格すると博士となる。

というのが流れである。

暫く、ステップ1とステップ2に関して詳しく説明していく。

博士論文プロポーザルの書き方 その1

1:プロポーザルとは

KMDの博士課程の学生は博士論文に着手する前にプロポーザルを書くことを要求されている。ではプロポーザルとは何か。少し詳しく説明しておきたい。

プロポーザルとは何を調査するのかを詳細に説明し、そのために用いる方法を詳しく説明したものである。また調査対象として選択したトッピックが何故重要かを説明して、調査のために用いる方法が適切であることを説明しなくてはならない。主題と方法と関連研究のまとめ、である。

では、何故プロポーザルを書くのか。それは3つある。第1は何を研究するかを論文を指導する人に伝えるため。第2は研究計画として、そしてここが大切なのだが第3は契約としてである。順番に説明しておこう。

第1:コミュニケーション
まずコミュニケーション。博士論文をかくためには指導教授を選ぶ。指導教授と相談しながらプロポーザルを書くわけであるが、プロポーザルは審査委員会のメンバーに読んで承認をしてもらう必要がある。そのことを念頭に置いて書かなくてはいけない。

第2:研究計画

次に研究計画としてである。博士研究は明確な方法に基づいてデータをそろえなくてはならない。そのデータは実験によることもあれば、観察によることもあるだろう。どのような方法でどのようなデータを入手するのかについて計画を立てなくてはいけない。その手順をステップごとに詳細に記述して無くてはいけない。

第3:契約

最後は契約としてである。プロポーザルは審査する教員と学生の間の契約の機能をもつ。審査委員会によって承認されたプロポーザルに従って学生は調査を行い、成果を出す必要がある。もちろん研究をしているうちに変えたくなることもあるだろう。その場合はあらためて承認を得なくてはいけない。内容を勝手に変えてはいけないのだ。

プロポーザルの書式については大学によって異なるがKMDはそれほど厳密に決めているわけではない。僕の指導を受ける学生は分野が自然科学、人文科学、社会科学、工学にまたがるのでもっとも一般的なChicago Munual of Styleに準拠するように教えている。大体A4で25枚くらいを目安にしている。結構長いのだ。

1: プロポーザルを書くには

1)指導教授と何をどうするか打ち合わせる>>できるだけ速やかに作業をはじめること。

2)下書きをかいて、修正をする>>思ったより時間がかかるので出来るだけ速やかに着手する

3)出来上がったものを審査委員会に提出して承認をもらう。>>口頭試問があるからその準備も必要

この流れに従って作業をする。当たり前の作業だと思うだろうが、実際には博士課程の学生はこのように進めないで迷走してしまうことが多い。なのでこのあたりをKMDでは制度化したのである。

2:プロポーザルを書くために:自分を知る

プロポーザルを書くためには次の基本的な質問に答えればいい。

1)調査をするための適切な質問は何か:リサーチクエスチョンはなにか。
2)答えをえるにはどうすればいいのか:リサーチメソッドはなにか。

しかし、リサーチクエスチョンを得るためにはリサーチサブジェクトが必要である。ではどのようにリサーチサブジェクトをきめるのか。この基本的な問いに答えることは意外と難しい。僕は何がしたいかを学生に聞くことにしている。すると大抵曖昧な答えが返ってくる。あるいは、論文の形式にとらわれていると、自分の研究主題の背景についてながながしゃべったりする。そうしたことを行わないで、何がしたいかをとにかく文章にしてもらう。その文章に対して、自分で質問してもらう。論文を書くための質問はいろいろな方法があるが、まずは5W1Hの質問をしてみる。自分のやりたいことが意外にいい加減なことが分かる。頭はやりたいことを理解しているが、それを他人に理解させるためには実は情報が不足している。つまり自分自身の知っていることを明確にしないといけない。この作業は結構楽しい。この作業を通じて、自分の興味の対象を見つけ出すことが出来る。Questioningと呼ばれる技術だ。

そのうち、自分が研究したいような領域が見えてくる。研究テーマ、つまりリサーチサブジェクトとは、独立して存在しているのではなくて、さまざまなことが絡み合って、それをリサーチサブジェクトとして意識している。なので、なにが自分の興味にとってふさわしいサブジェクトであるかは、自分と自分が興味のある領域の関係をしっかりと見据えないと出てこない。

まずはこの作業を行おう。

3:プロポーザルの構造

1)リサーチサブジェクトを紹介する

自分のサブジェクトが分かったら、それを紹介する文章を書く。これがプロポーザルの最初の部分だ。自分の興味がある領域について説明をすると共に、読み手が読んでいくために必要な情報を適切に導入する。Questioningでの作業が生きてくるところだ。説明が長くならないことと、びっくりするような専門用語を導入しないこと。これが肝要である。前提知識を要求しないである程度複雑なことを説明する。これをgentle introduction という。〜入門という感じだ。こうしたタイトルの本が結構出ている。ポイントは自分のサブジェクトに関してgentle introduction を書くことである。あとで説明するが、論文が成立させるのはサブジェクトにgentle introductionにくわえて、statement, rationale, そして背景を加えたときである。ほとんどの研究初心者は研究の背景だけを書いてサブジェクトの導入とするが、それではサブジェクトを読み手に「導入」できていないのだ。

さて、この段階でサブジェクトをどう表現するか、の問題がある。基本はサブジェクトを観察される事象の関数で示すことである。サブジェクトという実体を関数という抽象的な関係に置き換えて考える。慣れると何でもないのだが、わからないと全く分からない。ここがわからないと方法論の議論もうまくできない。この研究は何ですか、という簡単な質問に分かりやすく短く答えなければいけない。だが、ここに簡単に答えたから良いというものではない。研究の本質だと自分が感じるところをこの段階でも外してはいけない。この感覚をおしえるために、「質問が出ないような説明ではいけない」と教えている。「空は青い」といってしまえば、ああそうですかで終わってします。間違いをおそれて一般的なことを言ってはいけないのである。読み手が「どうしてだろう?」という気持ちになり、それにたいして「なぜならば〜なのです」と答える形で議論が進んでいく形が好ましい。

またこの段階で、自分の研究が重要であることを主張する必要はない。学術論文はオリジナリティがあり研究コミュニティへの貢献が必要だ。だがその説明はもっと後に回して良い。どっきっとするようなサブジェクトを研究するということが読み手に伝わればサブジェクトの導入は成功である。関数概念がわかっていないと、サブジェクトの記述が難しくなる。ぜひ勉強しておこう。科学哲学の勉強がいるところだ。

2)リサーチの目的を紹介する

何故この研究をするのかを明確なstatementにする。これは哲学的statementであり、自分の信念である。ここを文章にすることが難しい。当たり障りのない文章を書いてしまうからだ。このことを教えるために、「僕は」で始めろ、というテクニックを教えている。やりたいことを好きに書いてみる。そして、その頭に「僕は(あるいは私は)」とつけてみる。すると、文章が続かないことがある。その文章はstatementでは無いのだ。私がこの研究をおこなうのは〜〜だからです。という〜〜のところを文章にしておくのだ。つまり、私はこの研究をする。すると、どうして(Why)とつっこみが入り、なぜなら(Because)〜〜だからだ、となる。この簡単な論理的な流れが作れるかどうかが、研究目的を上手に読み手に紹介できるかのカギとなる。どうしてこの研究をするのか、は大まかに分けて2種類ある。サブジェクトについて理解したい、という目的と、何かを改善したいという目的である。またここで個人的な思いや背景、つまり主観的なことも導入してかまわない。個人的な興味でも良いし、意識している社会問題でも良い。ポイントは「私は」という主観で目的を設定して、明確なstatementとすることである。自分の哲学の表明なのだ。

具体的なサブジェクトとそれを研究する目的を的確に書くのである。プロポーザルは単純さ(Simplicity)、明確さ(Clarity)、仮説が単純(Parsimony)であることが求められる。しかし、複雑な問題を時間をかけて解いていく訳なので調査者は自分が選んだ対象に対して濃密な経験を積み上げてしまっているので、簡単には記述できない。したがって複雑な問題を分かりやすく記述するという手法が必要になる。これはacademic writingとかcritical writingとか呼ばれる。この方法なしに論文を書くことは無謀な行為である。ここもぜひ勉強しておこう。

3)A rationaleを明快にする

さて、ここまできたら、rationalの説明である。修士論文における中間発表へのコメントでも述べたが、rationaleがないと論文は書けない。辞書をひくと論理的根拠とあるが、これでは何のことか分からないだろう。研究サブジェクトを選択した目的を明確にした段階で、その目的をどうやって達成するのかを説明する必要がある。これがrationaleである。そのためには論理的な枠組みと具体的な事実による裏付けの提示という二種類の作業が必要である。読み手が目的を達成するための調査は価値のある調査なのかどうなのかが判断できて、その調査方法はきちんと定義されているのかを理解できるような枠組みをrationaleという。

ここを上手に提案できるかどうかが論文を評価してもらえるかどうかの勝負である。サブジェクトを実体ではなくて関数で表現できていると作業は簡単になる。関数に関わる変数や定数、およびその関係を図で示せばそれがrationaleである。科学哲学的な言葉で言うと独立変数と従属変数を定義してあればいい。(ところでこの言葉をgoogleで検索すると数学的な説明が出てくるので混乱する。科学哲学的な理解でいいので、僕のBlogの説明程度でまずは理解しておいてもらいたい。)まずサブジェクトを構成している要素が定義されており、要素間の関係が関数概念で説明されていていればいい。そして、適切なrationaleとは読み手がいろいろな質問(クエスチョン)をしたくなるようなものである。プロポーザルの始めの段階でのrationaleはこの程度にしておく。

4)リサーチクエスチョンと仮説を提示する

そしていよいよ、リサーチクエスチョンである。リサーチサブジェクトとリサーチクエスチョンおよび仮説が無いと博士論文にはならない。だがここまでみてきたように、サブジェクトとクエスチョンまでの距離は意外と遠いのである。この段階でサブジェクトは関数として意識されていて、それを構成する変数も意識されていなくてはならない。意識されていなくてはならないというのは、かならずしも量的変化だけを変数が意味するというわけではなくて、考え方だからだ。変数はパラメーターと呼んでもいい。学会に投稿してここの表現を間違えると評価が下がる。

さて、ここでもstatementをつくるのだが、目的のところで提示したstatementとは異なる。ここでのstatementは研究に利用するデータの収集と分析の方法についてであり、リサーチサブジェクトの細部にわたるまで言及していなくてはいけない。質問調査をするのであればそれを示す。ただし、先行研究やパイロットスタディ(プロポーザルの前に自分が行った研究)によって、方向性を示すようにする。しかし、リサーチクエスチョンだけでは斬新な研究は出来ない。仮説の構築が必要になる。仮説は変数を組み合わせて、その結果を予測する形で表現されたものである。

まずリサーチクエスチョンをはっきりさせる。何を質問しているのか、なにを観察しているのか?そして仮説の形で入力する変数が関数をとおって出力するものはなにか?いずれにしてもここまできたら、方法論の問題は避けて通れない。これも難しい。また答えを得るためにはどうすればいいのか?リサーチメッソッドの分野にここに素手で飛び込んでいくのは難しい。科学哲学の助けが必要になる。ここについては改めて説明する。

とりあえず、ここまでをやってみよう。修士論文の書き方と会わせて作業を進めてもらいたい。

ここまでまとまったら、次は学問的オリジナリティと博士論文の価値とはなにかについて説明したい。またここまでを僕を指導教授としている博士課程の学生には宿題として出しているので、その答えの添削もここで紹介しながら進めていきたい。

今回はここまで。

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大人の英語講座 KMD流 Lesson1

written by  Naohito Okude  on  11-15-2009  at  09 pm
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11月15日

久し振りのBlog。先週突然稲見さんからメールで稲蔭さんと僕はTwitterを始めた。すると、なんだか夢中になってiPhoneをのぞき込んでばかりいた。TwitterのアカウントはNaohitoOkudeです。

Twitterをフォローしている人を見ていると、奥出研究室の卒業生がちらほらいて、昔のことを思い出した。また英語が必要な学生もKMDには増えてきたので、昔研究室で良く行っていた大人の英語レッスンをちょっとBlogで続けてみよう。

やってみたい人はTwitterで参加して下さい。恥ずかしい人はBlogを見るだけで隠れて行っても良いです。昔研究室でレッスンを受けて「挫折した多くの卒業生」もこの機会にやってみたら?前より格段に教材が良くなっている。

ハッシュタグは #okudeEnglishLesson

レッスン1 どうやって勉強するの

ここで対象としているのはあまり英語が得意でない大人である。そして、この大人の英語ではTOEFL600点・TOEIC900点ぐらいを目指す。換算方法は下記を参考に。

http://allabout.co.jp/study/toeic/closeup/CU20040710A/

これはまあどうにか英語が読めて話せる感じ。たいしたことはないが、この水準で良いのである。前から僕の持論だが、最近『東洋経済』佐藤優さんも同じことを言っていた。

ステップ1 試験をまず受ける

で、出来るだけ早く準備をしないで試験を受ける。悲惨な点になると思うがそれでいい。またこれから先時々受けていくが、くれぐれも TOEFL/TOEIC対策本や問題集は練習しないこと。練習問題をひたすらやると結構点が上がっていくが、英語力とは違うので注意。これが結構我慢できなくてこうした対策本で勉強しちゃうんだよね。大人は我慢。

ステップ2 考え方を変える 音から作る

英語は音で作られている。ここが非常に難しい。日本語は音で作られていないのだ。言語学的な議論もあり、それは奧が深い問題だが、まず英語は音で作られていると考えて下さい。そしてそれを理解するためにはアメリカ人やイギリス人のように発音する必要はない。英語の音の構造を理解して発音すればいい。そのあたりは音声学・音韻論の世界で非常に進んでいて、研究書も沢山でている。

人間の発達において、言語の音の習得は早い段階で終了する。したがって母語としての発音を獲得することは、音の習得能力が閉じなかった特殊な人以外は不可能である。だから早期教育、というのは間違いで、母語を確立しないと人生の楽しみが大分減る。なので中学校に入ってから英語を勉強して問題はない。がここで習得するのは第二言語としての英語である。まあこれを第二言語とかんがえるか外国語と考えるかは大きなイデオロギーであり、また誰のものでもない英語という僕の先生である鈴木孝夫氏の有名な「Englic」論もある。このあたり別のBlogに書いたので読んでもらいたい。

http://okudenao.exblog.jp/12624747/

だが、大人になっても英語は音から勉強するべきなのだ。なぜなら英語は音で作られている言語だから他に学習の方法はない。國弘正雄さんという大変な能力をもった英語日本語同時通訳者がいるが、彼がこのことを非常に強く主張していて、20代の前半に僕は彼の本を随分と読んだ。彼の名前でAmazonを検索すると多くの音読の本が出てくる。むかしは音読のシリーズの本を教材に大分学生に教えたが、一つ大きな問題点があった。テキストが大人が読むにはもう一つ多様性に欠けるのだ。

暫くして、松澤喜好さんが『英語耳』という本を出した。これは画期的な本で、英語の母音、子音、からはじまってプロソディまで説明してあり、レッスンの進め方も非常に理にかなっていた。50回とか100回同じテキストを聞いて、音読をする。英語の発音をするためには日本語にはない筋肉を作らないといけないのだが、実際にやらせてみると、これが結構辛抱できない。だが筋肉なので練習しないとどうにもならない。この話はまた後にする。

さて、発音練習を繰り返していると、英語が聞こえるようになる。ここで100%理解ということが大切になる。聞いてみて100%理解できるまで繰り返すのである。同じことは読みにおいても言えるのだが、それは別のレッスンにする。子音、母音、プロソディ(後述)の練習を繰り返して、ある程度の長さの文章を100%理解できるまで繰り返し音読して、リスニングをする。この繰り返しの上に英語学習がある。これが一番というか唯一大人が英語を習得する方法である。だが、結果をあせったり、やたらに突き進んだり、単語やフレーズを丸暗記したりしてしまう。またこうした方向の英御本が沢山出ているので目移りする。この段階が終わればこうした本を楽しむことができるので大人は暫くこれも我慢しよう。

ステップ3 音読と簡単な英文法を身に付ける

英文法は大人の英語学習には欠かせない。だが、これも音で身に付ける。聞いたら100%わかる、を目指す。100%分からなければ、易しい文章にすればいい。100%分かるレベルが自分の実力だ。

具体的には松澤喜好さんの新著『英語耳ボイトレ』を今回は使う。國弘先生グループの音読は”只管朗読”、ひたすら英文を朗読することである。しっかりとした指導者がいれば別だが、普通の大人には難しい。自分で出来るくらいなら英語のセンスがあるので、英語には苦労していないはずである。というわけで、音読の効果はあっても、一人学習には向いていない。一度使ったが最後まで完走できたのは2名だった。次に松澤さんの『英語耳』を使ってみた。これはかなり良い感じで、子音、母音、プロソディ(後述)の練習が出来る。歌を使って覚えるバージョンもある。これは圧倒的に効果的な方法だった。だが、実はかなり難しい。何回も繰り返して口の筋肉が発音を覚えるまで、辛抱できない。僕自身は実は楽しんだ。それはもちろんある程度英語が出来ると言うこともあるが、それ以上に英語の歌を何年も練習しているため、口の筋肉が出来ていたのだ。そのため、良い練習になった。ということはこの本は簡単に見えて実は上級者向けかなと思っていた。

そんなことを考えているときに、この本が出たのである。理論的なところはあとで説明するとして、実践編を見ると、声を出すトレーニング子音のトレーニングア系母音のトレーニングの3種類だけだ。そのあとに『英語耳』の時からの発音バイエル子音編と母音・R編が続く。これで練習すると相当筋肉が鍛えられる感じである。なので、個々の発音をどうするか、というまえに、英語を発音する筋肉を作る。ここがポイントだ。またこの本では一息一拍の練習もする。これも大切だ。

さて、この方法のエッセンスである「プロソディ」について紹介しよう。音で英語を理解するということは母音と子音を理解して発音できるだけではないのだ。文章を発音する固まりを「プロソディ」といって、これが分からないと聞き取ることは出来ない。まず母音と子音と音節をおぼえたら、次は「プロソディ」を身に付ける必要がある。プロソディとは話し言葉のアクセント、イントネーション、リズム、ポーズなどすべてである。プロソディは複数の単語の繋がりから成り、そのまとまりで英語を聞き、理解する。文法や語彙力も必要であるが、プロソディを意識して英語を聞き理解できるようになればその両方とも基本的なところはクリアしていると言っていい。

そのために今回は松澤さんの出している『マーフィーの法則で英語耳』を使ってみることにした。文法、単語など基本的なところが一冊にまとまっている。なかなか便利な感じである。そして、内容が大人が学ぶに値する英知の固まりだ。進行状況を見ながらまた教材を考えていくが、まずはこの二冊から始めてみよう。

レッスン1
課題 1 Lesson1からLesson5 Exercise 3 をCDにあわせて音読

『英語耳ボイトレ』エクササイズの解説を読んで、CDを聴きながら音声をそっくりにまねる。これは結構難しい。音節を意識して、繰り返す。そっくりになるまで、なので50回から100回繰り返して聞く。全体を50回以上繰り返す。松澤氏は「4ヶ月から6ヶ月で50回以上全体を繰り返しましょう」と言っている。なかなか大変だ。Lesson5 Exercise 3までで約20分。一日の量はこのくらいだ。後半も20分弱なので、1ヶ月に15回繰り返せるから毎日やればほど4ヶ月で60回である。今週は前半を毎日やってみよう。

さて、課題の意味を説明しておこう。
Lesson1

Exercise 1 のウォームアップ。これは難しいエクササイズなので、いずれ出来るくらいで練習しよう。リズムボックスに合わせて発音するところがポイント。拍のなかに言葉がおさまる感じを学ぶ。
Exercise 2 あごのウォームアップ。これもなかなか難しい。英語の発音は言ってみれば3次元構造。あごを前に出したり引いたりして出す音が非常に大切。これも気長に筋肉練習。これは発音記号はここでは書けないけど、[y]のおと。

Exercise 3 のウォームアップ これも口の周りの筋肉を鍛えないと音が作れない。これは[w]の音。

Exercise のウォームアップ これは側音。Wikipediaの説明が凄いね。「側面音(そくめんおん)とは、子音を調音する際、舌の中央部分(側面を除く一部分)を上顎に密着させて口腔内の声道の中央部分の空気の流れを塞いだまま、舌の両脇を開放して起こす音。側音(そくおん)とも呼ばれる。」舌を上顎につけておく筋肉強化。[l]の音。

基本的に顎と口のまわりと舌の筋肉を鍛えないと音で英語を覚えようにも音が出せない。そこを鍛えるレッスン。やってみたが良くできている。また必要なところがかなり鍛えられる。

Lesson2 息のトレーニング
音は筋肉だけではだめで、息を吹き込まなくてはいけない。

Exercise 1、2、3 腹式呼吸

腹式呼吸をどうやって覚えるかを説明している。このあたり人によってどのような方法が良いか違い、また教え方も違う。自分でいろいろ試してみて、たっぷりと息を吸い込み、しっかりと様々な方法で息を出す訓練をしてみる。これも気長にやっているとある時突然出来るようになる。

Lesson3 声の強化

声は口の筋肉、舌の筋肉、息にくわえて、声帯の振動が必要である。その鍛え方を説明している。

Exercise 1 天使
腕を広げたり閉じたりしながら母音を発生する。声を大きく・小さくというのは非常に英語の発音では大切なので、そのレッスン。

Exercise 2 遠くに大声で呼びかける
これは非常に良いレッスン。声を遠くに投げかけるように出す。この音が作れないと、発音が出来ない。

このあたり、この本の共著者のボイストレーナーの福島さんがまとめている。第1はまず声量をつける。これはむやみやたらに大きな声を出すのではなくて、しっかりとした呼吸法で身体の力を抜いて、声を遠くに出すようにすると大きくなる。第2は話しかける相手に声の焦点をあてる。    第3は共鳴する声をだす。大きな声は声帯を使うのではなくて、頭に響かせて作る。これは大分時間がかかるのでゆっくりと覚える。そのほかにも有効なコメントがあるので興味のある人は本を読んでみよう。

Lesson4 共鳴させ、声の幅を広げる

Exercise 1 ハミング
ここは大事なところで[m][n]の発音の練習。鼻に響かせる音で、日本語には普通はない。唇が閉じるのが[m]でひらいているのが[n]。日本語にないというのは、この音を出している人がいない、ということではなくて、この音で意味の違いをつくりだしていない、ということです。たっぷりと鼻に響かせる感じを習得するのはちょっと時間がかかる。

Exercise 2 サイレン
母音を上げたり下げたりする。この音程の幅が非常に大切で、音が大きい・小さいにくわえて、音が高い・低いを調節できるようにします。

Exercise 3 身体を伸ばす・縮める
身体を動かして音程の幅を作るレッスンで、高音を作る。伸ばして高い音を出す。

Exercise 4 握り拳を振動させながら発生する
これは高い声から低い声に音を下げていくときに握り拳を振る。知らなかったが、やってみたら確かに普通出している低い声よりもう少し低い音が出た。低音を作るレッスン。

Lesson 5 see とsheの音を区別する練習。(発音記号の代わりに単語を書いておいた)
ここから子音のトレーニング。
Exercise 1: 強い[see]音を出す。
Exercise 2: 強い[she]音を出す。
Exercise 3: 交互に
どちらとも拍に合わせて舌が回るように丹念に練習をする。

以上が1回目のレッスンの概要だ。 一週間、ここまで楽しく丹念に続けよう。頭からやって20分だ。かならず声を出す。最初から大きな声を出さないで筋肉を鍛える感じで。レッスン2では後半部分をおこなう。

課題2 『マーフィーの法則で英語耳』Murphologyを毎日5回繰り返す

英語を理解するとは聞いたまま、読んだまま100%理解することである。この原則を守らないと英語はなかなか学べない。もちろん現実の英語では分からないことや聞き取れないこともある。だがレッスンの時は100%理解が原則である。で100%理解できなければ易しい英語を読めばいい。これが多読の戦略である。この方法はやがてこのレッスンでも導入するが、まずは基礎的な文法が音で理解できてないと先に進まない。音もプロソディが聞き取れていないと理解がおぼつかない。というわけでこの本に挑戦する。

来週一週間は最初のMurphologyをCDにあわせて5回音読しよう。1回2分40秒だ。結構疲れると思う。このスピードであわせて発音していく。出来るだけまねをする。お手本のスピードについていってまねをする。ついて行けなくても口が回らなくても言い。暫くその努力をしてみよう。『英語耳ボイトレ』と『マーフィの法則で英語耳』を出来るだけ毎日行う。一日30分少し。最初はこのくらいで暫く続けて見よう。

あと、毎日どのようにおこなったかの記録をつけることを薦める。では頑張ってレッスンをして下さい。